小熊英二『単一民族神話の起源』と、民族本質主義の迷宮
以下では2方向からの反論を行いたい。1つは事実認定の問題、もう1つは分析手法の問題である。
まず、事実認定の問題から。
本筋に絡まない部分だが、著者の歴史感覚を疑わせるという意味では致命的な歴史事実の誤認は多い。例えば、三一独立運動を「平和的示威行動」(p152)としているが、実際には役場への襲撃や警察署の打ちこわし、焼き討ち、親日派への襲撃は頻繁に行われていた(鄭在貞『韓国近代史』)。初期の段階では確かに非暴力の期間はあったが、その段階では弾圧は行われていない。むしろその段階で弾圧されなかったから朝鮮半島全土に広がったのだ。
また、BC級戦犯として処刑された朝鮮人について「日本政府は現在でも彼らへの補償を拒否している」(p331)としているが、これは誤解を与える表現である。日本政府は日韓基本条約によってすでに保証されていると言っているのだ。現在支払いを拒否するものがあるとすれば、それは韓国政府の側である。
本筋に絡む部分での事実認定の誤りは、筆者が集めてきた諸言説の位置づけについて多大な影響を与える。どんなに一生懸命言説を集めてきても、適切な位置づけがなされなければ、分厚い本も分量だけの本になってしまう。
さてまず、筆者は、創氏改名は強制されたと思っているようだが、それは誤りである。昭和15年に出された朝鮮総督府法務局発行の『氏制度の解説』の三章には、改名が強制でない旨がきちんと明記されている。また、改名を強制しないよう、という訓令が3回も出されている。そして実際、改名をしたのは全体の79%である。つまり、21%もの人は改名をしていないのである。
これは建前にすぎない、という反論があるかもしれない。だが、改名には手数料を取っていたという重要な事実を見逃すべきではない。もし改名を強制しようと思っているのならば、金などをとるはずもなく強制するはずであろう。金銭的理由により改名をあきらめる人が出るかもしれないのだから。このことから、政府側には改名の強制の意図はなかったと考えられる。
また、改名しない人は差別された、という反論があるかもしれない。だが、まず在日=日本への渡航が許可された韓国人のうち、改名していないものは20.7%である。(『アボジ聞かせてあの日のことを』参照)次に、1942年(昭和17年)3月の御幸森国民学校の卒業生44人中8人は改名をしていない(http://toron.chu.jp/20cf/touchi/sotsu.html参照)。また、終戦時の13人の知事のうち、3人は改名をしていない。改名していない人の比率が21%であることを考えると、こうした数値は人口比をそのまま反映している、つまり差別がなかったことを示している。
次に、筆者は日本語が強制されたと思っているようだが、それは誤りである。確かに日本語の奨励は行われたが、奨励と強制は意味を明らかに異にする。独立後のインドも英語の奨励を行っているのだから、文明国の言語を奨励して技術吸収をもくろむのは不自然なことではない。
実際、1938年の段階で、朝鮮人によって朝鮮語全廃を求められた担当官の南次郎は、この要求を断っている(林鐘国『親日派』)。そして、毎日申報は終戦まで朝鮮語の新聞を出しているし、昭和19年の総督府の電報料金表にも朝鮮語の記載がある。以上より、日本語の強制は行われていない。
逆に、朝鮮総督府はハングルの普及に努めている。1911年の朝鮮教育令では朝鮮語は必修とされ、初の朝鮮語辞典も作られた。
以上の事実は本書の構成にどのような影響を与えるだろうか。
まず上記の事実は、朝鮮半島への政策が「同化」一辺倒であったというのが誤りであることを示している。もし単純に朝鮮半島への政策が「同化」のみだとしたら、こうした同化に逆行する政策は取られないはずだからである。しかしそうすると、朝鮮への政策=「同化」一本槍、を前提にして、それに基づいて言説の位置づけを行っている本書は根本的な修正を迫られる。
小熊は、朝鮮への政策を、同化一本槍だったという単純な教科書的な理解ですましているが、実際は、そう簡単に割り切れるものではない。上記の事実は、同化の事実が全くなかったことを示しているわけではないし、実際差別もあったのだろうが、それのみではなく、朝鮮への政策は二面的な非常に複雑なものであったのだ。そこを強引に単純化してしまうと、全体がゆがんだものになってしまう。
次に、分析手法の問題へ移ろう。
まず筆者は、言語と名前をはく奪することで民族抹殺が出来るかのように書いているが、そうだとしたら朝鮮民族はとっくになくなっている。なぜなら、百済からの渡来人は鬼室集斯、憶礼福留、木素貴子、各那晋首といった名前で、現在の韓国人の名前はすべて中国式だったからある。つまり、本来の韓国式の名前から中国式への名前の改名はすでに行われているのだ。また、李氏朝鮮ではハングルは卑しい文字とされあまり使用されず、第十代燕山君のときには正真正銘のハングルの禁止が行われた。
小熊氏の説に従うと、日本が朝鮮を統治したときには朝鮮民族なるものはひとりも存在しないということになる。
では、民族概念そのものの議論へ移ろう。
まず、民族というものそのものが常に「おしつけ」の側面を持ち合わせている。だから、日本民族のみならず、朝鮮民族もまた、内部においてはおしつけが行われているのだ。ある民族が成立するためには、マジョリティからマイノリティへのおしつけが発生するが、そのマジョリティ内でもおしつけが発生しており、そして・・・と永遠に繰り返されるので、結局ニュートラルな(おしつけでない)民族の人などほとんどいなくなってしまう。それを踏まえると、日本民族も朝鮮民族も同様のレベルでおしつけを行っているのであり、筆者が日本民族のおしつけのみを取り上げて避難して、朝鮮民族の側を不問に付すのはダブルスタンダードだと言わざるをえない。
民族というものを以下の3つの側面に分類しておこう。
1 文化面(伝統、芸能、料理など)
2 形式面(戸籍、名前など)
3 血筋面
1については尊重を必要とするが、その尊重とは個人や集団に帰属させて特定させる閉鎖的なものを意味しない。あくまでもあらゆる人に開かれた開放的な形で尊重されていくべきである。
2と3は本質的に無意味なものであり、それに固執するのは形式主義、血統主義でしかない。
さて、部落差別においては、部落と非部落の力をつりあわせようとする「丑松思想」的な解決策は古い二項対立に縛られたものであり、部落・非部落という概念をなくす方向で部落差別解消は進んでいる。
それを踏まえると、民族間の力をつりあわせる形での差別解消というのは古い発想であり、無意味な区分である民族を消滅させる形で民族差別は解消していくべきである。
そう考えると、異なるものと共存するのに必要なのは、神話でも、強さでも、叡智でもなく、ただ相手が異なるものだという認識を捨て去ればよいのである。
(追記:先日大臣が「単一民族」発言をしていた。この大臣へは「今さらですか」としか言いようがないが、それと同時に、その発言を批判する人も又少数「民族」を持ち出してしまうあたり、同じ穴のムジナになっている気がした。「単一民族」支持者も批判者も、どうも民族本質主義から抜けれないようだ)
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