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知識人の責務

では、知識人の責務とは何だろうか。

知識人の責務を「権力批判・弱者の味方」とした問題点は、知識人の主張内容を先行して決定してしまった点にある。「権力の主張内容はすべて誤りである」というドグマが真であることを示せないならば、上記のような形で責務を決定することはできない。

そのため、知識人の責務は、主張内容について規定する場合は、それが主張として真であることが提示できなければならない。さもなくば、責務は主張方法において規定されるべきである。知識人の責務は、一般人が陥りがちな罠を明確にしそれを回避するように促すものとなるだろう。無論これは知識人のみならず一般人の主張にも当然適用可能だが、しかし知識人は特に注意を払うべきだというのは妥当するだろう。

さて、ここでは知識人を政治に関わる主張を行うものだとしておこう。政治とは社会全体を見た上でその社会の全体としての方向性を決定していくものである。ゆえに

1 知識人は、一個人の観点から論ずるのではなく、あくまでも全体の観点から論ずるべきである

といえる。一般人は、自分の目の前の事柄しか見えないのが普通である。全体的な意味での福祉云々よりも、目先の税金が上がった下がったの方に振り回されてしまう。だから、知識人はそうした傾向を脱して、全体的な観点からそれが必要であるか否かを裁定するべきなのである。

また、知識人は議論を行っていくものである。ゆえに

2 知識人は、聴衆の感情をあおるような議論をすべきではなく、感情を抑え理性で物事を考えるような議論をすべきである

といえる。聴衆の怒りをかき立てるような、すなわちアジテート的な、論を行うのはやっていて楽しいことではあろうが、それは知識人にとってしてはならないことである。知識人は純粋に理性でもって訴えて、聴衆の理性的判断を待つべきなのである。

そして、主張が政治的なものであるということ、判断は理性的に行うべきものであるということ、から

3 知識人は、一般人の持つような倫理を論拠にすべきではなく、社会全体の必要性を論拠にすべきである。

といえる。一般の倫理というのは個人の観点から局所的にしか成立しないものである。一方、政治とは全体的な観点から論じなければならないから、そういう倫理を持ち出すのは、混乱を招くだけである。政治的活動は、どのようなものをとったとしても、どこかの側面では倫理に反するものなのだから。

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