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倫理は成立するか

まず、倫理は、その行動を倫理性を論拠にして自覚的に選び取って、はじめて倫理的であるといえる。これは、たとえよい行いをしていても、そのように行うのが「先生に言われたから」だと、倫理的とは呼べないのと同じである。

ゆえに、倫理的行動は、「自分は倫理的に潔癖でありたい」と欲し、それを実行することで初めてとられうる。

さて倫理は、自己に執着することを放棄し、他者のために行動することを要求する。

そのため、自分は倫理的な悪を冒すことにはなるが、他者から見れば必要な行動については、倫理自身に要請によって、自己の倫理的潔癖性への欲求は放棄させられる。倫理は、自分の状況がいかなるものかへの固執を切り捨てるからだ。

(なお、「自分は倫理的な悪を冒すことにはなるが、他者から見れば必要な行動」の例として、あなた自身がAを殺すか、さもなくばあなたは何もしない代わりにAを含めた多数の人間が死ぬかの状況を与えておこう。倫理の要請は後者になるが、他者の要請は前者であり、自己の倫理的潔癖性への欲求を捨て去った状況では前者が選択されるだろう)

しかしこのことは、倫理が行動の基準として放棄させられたことを意味する。

つまり、倫理は、倫理自身によって究極的状況では倫理を破壊してしまうことになる。

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