ポパーの批判的合理主義は本当にダメなのか?
ポパーの反証可能性を軸にした批判的合理主義は、有名ながら誤解も多く、誤解による批判も多々あるようである。ここでは、そうした誤解を解きつつポパーの論を再構築したい。
まず、ポパーの論じているものは、すべて命題の「正当性」に関わるものであり、予想の方法とかは論じていない点には注意を払うべきであろう。ポパーは
後者(科学的認識の論理分析)が問題にするのは、[新しいアイデアや理論がなぜ、いかにした生じたかという]事実の問題(カントのいわゆる事実問題)ではなくて、ただ[生み出された理論そのものの]正当性または妥当性の問題(カントのいわゆる権利問題)だけである。(『科学的発見の論理(上)』p35)
と述べているように、提出された理論のみを問題にしており、理論としてではない予想については彼は論じていない。この点は、ポパーの帰納批判を考える上では非常に重要である。ポパーが批判したのは、過去の経験によって理論が正当性を得るというテーゼであって、帰納による予想自体は否定していない。この点はヒュームと大きく異なる点である。ポパーは、経験に基づく予想について
基礎言明を受容れそれで満足するという決定が、われわれの経験――とりわけわれわれの知覚的体験と因果的に結び付いているということを、私はふたたび認める。しかしわれわれは、これらの経験によって基礎言明を正当化しようとは企てていない。経験は決定を動機づけることはでき、したがって言明の受容れまたは拒否を動機づけうるが、しかし基礎言明は経験によって正当化されえない――テーブルを叩くことによって正当化できぬのと同様に。(『科学的発見の論理(上)』p131)
と述べているように、経験に基づく予想自体は否定していないのである。
次に、ポパーは、ただ一つ反例が上がったらただちにその仮説を捨てねばならないという素朴反証主義者ではない。彼が提出したのは、科学と非科学の境界として、その理論が反証可能性を有しているか否かをその基準として採用するという方法論的反証主義である。ポパーは
私は科学体系というものは経験的テストの手段によってネガティブな意味で選別されうるような論理形式を備えているべきだと要求する。すなわち、経験的科学体系にとっては反駁されうるということが可能でなければならないのである。(『科学的発見の論理(上)』p49)
と述べるように、可能性を問題視しているだけである。実際、一度もテストにかけられたことがない言明についても
すべての科学的言明は、それが受容れられるに先立って実際にテストされてしまっていなければならぬ、と私は要求しているのではないからである。私はただ、すべての科学的言明はテストされうるものでなければならない、と要求しているだけなのである。(『科学的発見の論理(上)』p58)
というように、反証「可能性」が彼の最大問題なのである。
第三に、海王星の発見において、ニュートンの法則を放棄しなかったのはポパーの批判的合理主義の精神からするとすべからざる行動となってしまうという批判であるが、これはポパー自身がある種デュエム=クワインテーゼ的なものを自ら主張しているという事実を見逃している。ポパーは
理論と初期条件と(中略)からなる言明の体系tの結論をpとする。(中略)
この推論方式を用いてわれわれが反証するのは、言明p、つまり反証をつきつけられている言明、を演繹するために必要とされた体系の全体(その理論と初期条件と)なのである。したがって、体系のどれか一言明について、それがこの反証によって特定的にくつがえされるとか、くつがえされないとかは、断定的に主張できない。(『科学的発見の論理(上)』p93)
と述べるように、反証をどの言明に適用させるかを一意に定めることはできないとしており、したがって海王星の発見において「惑星は今わかっているもの以上には存在しない」という初期条件を放棄したのはポパーの批判的合理主義にかなっているといえる。
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