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医師と決断と金銭至上主義のジレンマ

あなたが医師だとしよう。目の前に患者が二人いる。二人ともあなたとは縁がない人だ。症状は同じだ。どちらも放っておくとすぐに死んでしまうぐらい重症だ。

だが薬は一つしかない。

あなたは決断を下さねばならない。下さなければ両方死んでしまうのだから。

だが、いったいあなたはどうやって決断を下しうるだろうか。

どちらを選ぶことにも決定的論拠などあるはずがない。しかしあなたは決定せねばならない。

あなたが良心的であればあるほど、この決断には苦しむはずだ。

このような状況下では、本当に瑣末な動機付けで決断を下さねばならないだろう。例えば、どちらの方が人相がよさそうか、などの取るに足らない理由で。

だが、誰を助けるかを人相で決める医師を信用できるだろうか。

これはコインを投げてどちらを助けるか決めても同じことだ。

ここで明確化されているのは、医師に「誰を助けるか」についての決断をさせてはならないということだ。

医師にどちらを助けるか決断をさせるということは、医師にどちらかを殺すことを決断させるということなのだから。

もちろん、上記例ならば、薬が二つあればすべて解決した。

だが現実は、薬が一つしかないような状況に近いものがある。

難しい手術、大規模な手術になればなるほど、ニーズは多いがサプライが追いつかない状況に陥る。

誰もを公平にそして親切に見てくれる「村のお医者さん」像はここでは幻想である。

ということは、医師の外側のシステムとして、誰を助け誰を助けないかを決定するものが必要だということになる。

現在このシステムを果たしているのが、金銭至上主義なのだ。

金の有無によって誰が助かるかを自動的に決定するこのシステムは、医師による決断を回避させるという役割を負っている。

そして、医師による決断の状況には追い込まない方がいい以上、こうしたシステムは必要性があるといわざるを得ないことになる。

皮肉なことだが、良心的な医師を守るために、医療における金銭至上主義はあるのかもしれない。

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