ケインズの「美人投票」について
ケインズの美人投票はどうも文脈を離れていささか独り歩きしている気がする。
まずこの文脈は長期期待についてのものであって、市場全般についてのものではない。ここは確実に押さえてほしい。
まず
期待収益を予測するにあたって依拠しなければならない知識の根拠が極度にあやふやなのは際立った事実である。(J.M.ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論(上)』岩波文庫p205)
ので
現実には、ふつうわれわれは意識せずとも、その実誰しも慣習を頼んで事に処している。(同p209)
上の慣習的計算方法は、慣習の持続をあてにすることができるかぎり、われわれの事業に相当程度の連続性と安定性をもたらすだろう。(同p210 強調筆者)
となる。だがしかし
慣習というものはそれ自体としてみれば根拠がきわめて薄弱だから、それなりの弱点をもっているとしても驚くにはあたらない。十分の投資を確保するという現代の問題の少なからぬ部分が、慣習のもつ不安定性のゆえに生じているのである。(同p211)
そしてその不安定性の要因の一つとして
大勢の無知な個人の群集心理によって打ち立てられた慣習的評価は、期待収益にとっては実のところほとんどどうでもいい諸要因によって引き起こされる意見の突然の変動によって、激しい変動を被りやすい。(中略)この楽観と悲観の感情の波はなるほど根拠のないものであるが、理性的な計算のための確固とした基礎が存在しないときには、ある意味ではそれも合理的なのである。(同p212)
と述べる。
だが、というかもしれない。ここでケインズは想定される反論を上げる。
平均的な個人投資家には及びもつかない判断力と知識をもった熟達した職業投資家たちの競争は、無知な個人に見られる気まぐれをあるいは正すやに思われるかもしれない。(同p213)
だがこれはまやかしなのである、とケインズは論ずる。
彼らが関心を寄せるのは、ある投資物件がそれを「本気で」購入しようとする人にとって、実際、いかなる価値をもつかということではなく、三か月先、あるいは一年先に、群集心理の圧力の下で、市場がそれをいかほどに評価するか、ということである。(同p213)
つまり、職業投資家たちは誤った期待を是正してはくれない。これがケインズの骨子である。さらに
長い歳月にわたる投資の期待収益よりは、むしろ数か月先の慣習的評価の基礎を推し量る虚々実々のゲーム――このゲームは、大衆の中に玄人筋の胃袋を養う間抜けなカモがいることさえ要しない。玄人筋は自分たち同士でこのゲームを行うことができるのである。(同p214 強調引用者)
といって、職業投資家が正常な評価を行わないのは、無知な大衆がたくさんいるせいで「さえ」ないことを論ずる。そして、その比喩として出てくるのが美人投票なのである。
要約すると
・長期期待は慣習に依存するが、それは不安定である
・慣習が不安定なのは、無知な大衆の一時的感情にさらわれるためである
・職業投資家は、大衆の感情の是正を行わない(=美人投票)
ということである。別にバブルになるとかそういう文脈ではない。
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