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石橋湛山はリベラリストか?

石橋湛山というと、どうも平和主義、リベラリスト、などと見られることが多い。

だが、湛山の思想は、国家肥大化・ナショナリズムへの批判、自由の擁護、などの面において保守主義的な部分を強く見せている。

例えば、彼は新憲法に対しても、例えば天皇制については明治憲法からの歴史的継続性を強調し[1]、義務規定の少なさを憂えている[2]。非武装平和主義についても

今日の世界に於て無軍備を誇るのは、病気に満ちた世界に於て医薬を排斥する或種の迷信に比すべきか、マ元帥が日本憲法は自衛権放棄に非ずと解釈せらるは当然である[3]

と批判的である。実際彼は政令諮問委で「憲法改正もこの委員会の議題になすべきにあらずやとの議を予より出し[4]ているように、改憲にさえ一定程度コミットしているのである。[5]

彼の軍事批判は、

私は全然再軍備の用意もしてはならないと言うのではない。経済力を培養することが、すでに再軍備の用意でもあるが、また直接にも、経済に圧迫を加えず、その用意を進める方法はあると思う[6]

という言に表れているように、軍事が絶対悪であり平和が絶対善であるなどというような理想主義的なものではなく、軍備傾倒は経済的圧迫をもたらし、国益を損ねるというすぐれて現実主義的な発想によるものである。有名な「大日本主義の幻想」においても、

我が国が大日本主義を棄つることは、なんらの不利を我が国に醸さない、否ただに不利を醸さないのみならず、かえって大なる利益を、我に与うるものなるを断言する[7]

というように、はっきりと実益を底にしいた現実主義的な形での小日本主義が提起されている。

現在の湛山理解は、どうもリベラリスト・絶対平和主義よりなものが多いような気がする。だが、湛山はリベラリストというよりは保守的であり、より適切にはリアリストであると理解する方がよいように思われる。彼の小日本主義や自由主義も、すでに記したように理想への系統ではなくて極めて現実的な思惟からの所産だといえる。国威・名誉を優先する軍国的な主張と、理念を優先するリベラルな主張とは、「名より実益」の現実主義においてはともに排されるのだ。


[1] 石橋湛山「憲法改正草案を評す」(『小日本主義』草思社p175177

[2] p178179

[3] 石橋湛山『石橋湛山日記(上)』三陽社p295

[4] 石橋湛山『石橋湛山日記(下)』三陽社p479

[5] 他にも、例えば増田弘『石橋湛山』中央公論社において、1954年の緊急政策大綱の憲法改正と防衛体制確立を「湛山の年来の政治・外交思想が色濃く滲み出」たものと評されている(p192)。

[6] 石橋湛山「安保条約化の日本経済」(『小日本主義』草思社p208

[7] 石橋湛山「大日本主義の幻想」(『石橋湛山評論選集』東洋経済新報社p217

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