求められる悪魔
現状の状況が悪い時、人はどこかに「悪魔」を求めて、現状の悪さの原因をそこに求めたがるものだ。
完全な自己責任論は、悪魔をすべて個人に帰してしまうがゆえに不当なものだが、今日の「自己責任論」批判論は逆に、悪魔をすべて企業なり政府なりに帰してしまう点で自己責任論の鏡映しになっている。
非難の矛先が変わっただけで、やってることは大差ない。
誰かが悪いことにしないと気が済まない。だから社会では悪魔が求められ、魔女狩りをするようになる。
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