数学の教科書としてさすがにこれはいただけない。(浅田彰『構造と力』におけるクラインの壺)
金子昇『数理系のための基礎と応用 微分積分Ⅱ』におけるクラインの壺についての説明の註に次のように書かれている。
継ぎ目に丸みを付けないで書く流儀もある。浅田彰『構造と力』という哲学書の表紙にはそのような図がちりばめられており、70年代の女子学生はこの本をファッション代わりに持ち歩いていた。(p188)
とりあえず『構造と力』って1983年に発売された本だよね、っていう点もあるんだが、それより問題なのは、浅田の用いたクラインの壺が数学的に誤っているとして批判されネット上で論争になっていたという点だ。
発端は山形浩生の批判『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって(というか、浅田式にはめぐらないのだ)である。これに対してはいろいろ批判もあったが、数学者の黒木玄が浅田彰のクラインの壺についてで山形を擁護した。これに対しては菊池和徳が浅田彰『構造と力』の≪クラインの壺≫モデルは間違っていない――一トポロジストの異論で反論を加えている。
だが浅田を擁護した菊池の論は、浅田のクラインの壺は「中身の詰まったトーラス」として解釈すれば矛盾が生じない、というものである。通常の意味での(すなわち局面としての)クラインの壺では浅田のアナロジーが成立しないこと、そして中身の詰まったトーラスとしてのクラインの壺は、数学用語としては適切とは言えない(ただ、アナロジーとしてなら十分に理解可能)ということは菊池も認めている。
実際『数理系のための基礎と応用 微分積分Ⅱ』においても
c)Klein(クライン)の壺.Mobius(メビウス)の帯は境界を持つ曲面片ですが、境界を持たない閉じた曲面で裏表が繋がっているような代表例がこれです.(p187。強調引用者)
と書いているように、クラインの壺は「曲面」を指し示すものだ。
数学の教科書に、数学的には正しくない例を引っ張り出すのはあまりにもいただけない。
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