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正戦論をめぐって~その3 杉田敦『境界線の政治学』のウォルツァー批判

杉田はウォルツァーの、戦闘員と非戦闘員を分離するというユス・イン・ベロの原則を批判する。

総力戦において、徴兵制は大きな役割を果たしてきた。強制的に兵士にされた人々が、非戦闘員と違って、殺されてもやむを得ない存在になるのはなぜなのか。ウォルツァーも、多くの兵士が、必ずしも自発的にそうなるわけではないことは認める。しかし、それにもかかわらず、殺傷能力を持つ集団に加わった時点で、彼は危険な存在になったのであり、したがってイミュニティを失うと主張する。これは、わかり易い論理とは言えない。少なくとも、心ならずも徴兵された人々にとって納得がいく説明ではないだろう。(『境界線の政治学』p152

この杉田の反論では、正義の対称性が隠された前提になっている。つまり、相手を殺すことが正当なら、相手は殺されてもかまわない(程度に正義にかなっていない)存在である、ことが前提にされている。だが、この前提は一見もっともらしいが、生死のかかった特殊な状況ではあまり妥当ではない。たとえば緊急避難のような状況を考えてみよう。2人の人が転覆した船から海に投げ出された。そこに1枚の板が流れてきたが、残念ながら1人分の重さしか支えられない(カルネアデスの板の状況)。この状況では、他方を突き飛ばしてでも板を守り抜く(つまり相手を殺す)ことは少なくとも不正だとは言えない。だが、突き飛ばされておぼれ死んだ方は、何か不正なことをしたのだろうか。あるいは彼は死んでもやむを得ない人間なのだろうか。そうではない。同様に、殺した側が不正ではないにもかかわらず、殺される側が単純に「死んでもよい」わけでもないということは成立しうる。

また、戦闘員/非戦闘員という二分法については、以下のような批判も行う。

こうした前提(国力が同じ程度である国家で戦うこと。引用者注)が失われ、国力に極端な差がある国々が対峙するようになった時に、弱い側にしてみれば、戦闘員同士がまともに戦って勝ち目があるはずない。そこで、自国の非戦闘員を人質にとるような形も含め、さまざまな非正規戦を戦うようになったのである。このような事情を顧みず、対称的な関係を前提として初めて成り立つような二分法を、非対称的な状況で先取り的に要求することは強者の論理とのそしりを免れないだろう。p159p160

弱国は、その定義より平等に戦争したら負ける側の国である。ということは、「弱国は、平等に戦争したら負けてしまい不当だ」というのは、「弱国が弱国であることそれ自体が不当だ」ということである。ここでは、経済的不平等や領土の不当な占拠などはいっさい含まれておらず、純粋に軍事的不均衡のみが問題となっていることには注意しておこう。つまり、弱いことはそれ自体不当であり正義に反しており、軍事力を他と同等にするまで支援されるべきだというのである。これは単なるルサンチマン以外の何物でもない。

むすびとして彼は以下のように述べる。

今日の世界では、何が戦争であり、何が犯罪であり、何がテロであり、何が正義であり、何が悪であるかは、経済的・軍事的影響力を有する特定の勢力が勝手に決められるという慣行が確立しつつある。ウォルツァーの正戦論は、そのように事実上行われる定義に、一種のお墨付きを与えるものとして、利用され続けることだろう。p170

利用され続ける、が間違った引用での利用ならば、これは何の問題でもない。税制度の必要性を言う学者が不当な増税の際に利用されるだろうからと言って、税制度の必要性の論そのものに問題があるわけではない。

利用され続ける、がウォルツァー自身の妥当な帰結だというならば、それは誤っている。彼は、多くの具体的なケースを引いて、少なくともある程度の線引きを行おうとはしている。もちろんその線が妥当ではない(例えば杉田は、ウォルツァーが、第三次中東戦争でイスラエルがエジプトを先制攻撃したことを正義にかなうとしていることを批判している)ならば、具体的に批判されるべきだが、それはひかれた線に対してであって、線引きそのものに対してではない。ウォルツァー自身は線を決めようとしているのであり、いい加減な線引きの擁護にウォルツァーを引くのは彼の反対するところになる。

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