市場の自動供給、の意味的問題
何らかの規制を廃して自由市場化を推し進める人が必ずいうことに「必要量は自由市場においてもきちんと供給される」というものである。
だが、この「必要量」とは一体何を指しているのだろうか。
各人が望む量すべてを各人にあたえるほど世界にものは存在しない以上、必要量は要求量とは異なることは明白である。では、この必要量はいかなる基準に従って決められるのか。
ここで、自由市場の推奨者は、暗黙裡に必要量を「需要と供給に従って均衡に達したところのその量」としてやいないか、と問うてみたい。この必要量の規定が循環的であるのは言うまでもない。上記の必要量の定義は、つまるところ「理想的な自由市場のメカニズムによって分配された量を必要量とする」と言っているに等しいからである。「自由市場において供給される量を必要量と定義すれば、自由市場において必要量はきちんと供給される」というのは何も言っていないに等しい。また、その定義に従えば、必要量が供給されないのは、自由市場を阻害する要因が存在するからだ、というのもまた自明の結論となる。
だから、自由市場の擁護者は、「自由市場では必要量が供給される」というためには、必要量が何かをきちんと定義しなければならない。
ただしこれは自由市場の批判者へも、返す刀で向かっていくかもしれない。「必要量」という漠然とした語を用いることで、なんとなく自由市場では必要量が与えられないという印象を植え付けている傾向もまた見いだせる。「必要量」を要求量と取り違えれば、自由市場でそれが供給されないことは自明だが、その定義だとそもそも必要量が供給できるメカニズムなど存在しないからその必要量の定義自体に問題がある。自由市場の批判者もまた、「必要量」とは何かをきちんと定義して、自由市場ではそれが達成できないことを論証しなければならない。
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