閉じゆく論壇
オピニオン雑誌が、「論座」に続いてついに「諸君」も休刊するらしい。(よんななニュース参照)
オピニオン雑誌、特に右とか左とか色の決まってるもの、は、大体において「内輪での盛り上がり」に終始している。要するに、彼らの世界だけで論が完結していて、その世界にいないものには説得力がまるでないような理論だてを行っているのである。
例えば左派論壇なら「田母神論文を肯定するような戦争賛美な危険な奴ら」というだけで「奴ら」が批判されたことになってしまう。右派論壇も同じで「田母神論文を否定する戦後教育にどっぷりつかったバカな人々」というだけで批判できたことになってしまう。
むろんこれは極端な例だが、往々にして左派論壇ないし右派論壇の勝手な「常識」を論証不要の前提としない限り成立しないような議論(罵倒?)は頻繁に見かける。この傾向は特に対談や鼎談に強く、「彼らはバカですよね」「そうですよね笑」のような話で終わることもしばしばである。
こういう論壇は、端的に言えば「閉じている」のである。それは自分たちと異なるものをすべて拒絶し、その中だけで自己完結している。これを改善するには自分たちとは異なるものを自分たちの世界に入れるしかない。
そういう点において、少なくとも私見では、左派系なら「論座」、右派系なら「諸君」はまだ自浄作用があるように見ていた。「世界」や「正論」に比べ、「論座」や「諸君」は、自分たちと逆の主張の論客や、少なくとも自分たちの主張をややシニカルに眺めるような論客にも紙面を割くように努めているように見ていた。
・・・のだが、結局両誌とも休刊してしまい、つまるところより「閉じている」二極のオピニオン雑誌が残っていく傾向にある。
オピニオン雑誌自体が休刊という意味で「閉じる」とともに、オピニオン雑誌の世界の中もまた「閉じた」ものに向かっているように思えてならない。
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