科学革命について 2~パラダイム前後の連続性の問題
過去の、誤っているとされた理論も、それは単純に誤りとして捨てられるべきではない。そうした「誤った」理論も、自然現象のかなりのところを適切にとらえている。
そして、そうした「誤った」理論の方がより直観的であり、それは日常に近いところではなお用いられているといえる。例えば、天動説は否定され地動説が正しいとされたが、日常ではなお「日が沈む」などという。また、熱は粒子運動であるとされカロリック(熱素)説は否定されたが、しかし日常では「熱が広がる」などのカロリック的用語法を用いている。
だからむしろこれは「正しい/誤り」の問題というより、精度の問題だといえよう。理解や計算のしやすさとモデルの精度(正しさの度合い)は反比例する。それゆえ、我々は必要な精度に応じた現象の理解を行っているのだと考えられる。日常では精密な理解はいらないので、天動説やカロリック説で事足りる。だが科学はあくまでも精度を上げ続けることを求めるので、先へ先へと進むのである。だが科学にしても、たとえば相対性理論ではなく今でもニュートン力学を用いている部分もある。それはそのレベルの精度の計算で事足りる(あるいは誤差範囲に収まる)からである。
やや話が変わるが、クーンは、相対論から限定条件に従ってニュートン力学が派生するという考えを批判する。
しかし、派生の過程は、少なくともこの点に関してはあやしいものである。N1等(ニュートン力学の諸命題。引用者注)は相対論力学の特殊ケースではあるけれども、ニュートン法則ではない。少なくともそれらの法則は、解釈をし直さなければニュートン法則ではない。その再解釈は、アインシュタインの仕事が出るまでは不可能だったのである。アインシュタインのE1等(相対論力学の諸命題。引用者注)において、空間的位置、時間、質量を表わす変数やパラメータは、N1等にも起こる。そして、それによってアインシュタインの空間、時間、質量を表わすことができる。しかし、このようなアインシュタインの概念の物理的意味は、同じ名前で示すニュートンの概念の物理的意味と決して一致しない(ニュートンの質量は保存され、アインシュタインの質量はエネルギーに変換できる。低い相対速度でのみこの二つは同じように測定されるが、それでも同じものとは考えられない)(T.クーン『科学革命の構造』p115)
「解釈をし直さなければニュートン法則ではない」ということは、裏を返せば「解釈しなおせばニュートン法則になる」ということであり、この事実こそが相対論力学とニュートン力学の連続性を保証する。NからEへの変換そのものを相対論力学に含意させてしまえば、まさに相対論力学はニュートン力学を完全に包摂することになるのだから。そしてこの再解釈法が多くの相対論の教科書に書かれているという事実こそ、相対論によるニュートン力学の包摂を意味している。
なお、「その再解釈は、アインシュタインの仕事が出るまでは不可能だった」点はなんの問題でもない。そもそも再解釈される対象たる相対論力学自体がアインシュタインによって作られたのだから、アインシュタイン以前にどうしてアインシュタインの考え出した相対論力学を解釈することが可能だろうか。
クーンはニュートン力学と相対論力学の意味概念の不一致の論拠として、「ニュートンの質量は保存され、アインシュタインの質量はエネルギーに変換できる」と書いているが、「ニュートンの質量は保存される」と記述される(これはニュートン力学の時代の人々にも当然理解可能な文である)時点で、「質量」概念そのものには「それは保存されるものである」という意味は含まれていない。ニュートン力学の時代においては「質量はエネルギーに変換できる」はただ偽なる命題であっただけであり、理解不能な命題であったわけではない。ゆえに、真偽の変更は見いだせるが、それは意味概念の不一致ではない。
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