脳死と臓器移植について
とりあえずこの問題は何点かの論点が混在していると思う。簡単に分けても「科学的観点から死はどう規定できるか」「社会的観点から死はどう規定すべきか」「臓器移植はいかなる場合にどのように認められるべきか」などの点がある。
最初の、科学的に見た死の話は、純粋に科学者の領域である。だが生と死の厳密な線引きはおそらくどれだけ科学が進歩しても不可能だろう。生と死はある一点で分けれるものではなく、ゆるやかに段階を踏んで生から死へと変化していくものだと考えられる。だが当然これは生と死の区別が存在しないことを意味しない。これは髪の毛についてハゲとフサフサの髪の本数に関する厳密な境界線は存在しないが、ある人がハゲでありある人がフサフサであることは明確にわかるのと同じである(ハゲ頭論法)。
死を不可逆性昏睡と定義したうえで、ある時点で「生きている状態」へ可逆的な状態から不可逆的な状態に移行することが科学的に発見されるかもしれない。だがその場合にしても、死というのは可逆状態から不可逆状態への移行としか言えていない以上、絶対的な判定法が存在するとは到底考えられない。少なくとも脳死も心臓死もともに死の「判定方法」であって死の「定義」ではありえない。要するに脳死も心臓死も便宜的な判定手段に過ぎないのである。
とすると次の社会的観点の問題へと移ることになる。死の判定方法として社会的に望ましいのはいかなる判定基準なのか、という問題になる。今の国会だと脳死を認めていく流れだが、脳死と判定されながらも心停止に至らず10年以上も過ぎるケースも存在し、一律に脳死を死の判定基準とすると脳死者を持つ親族としては「まだ死んでない」と納得がいかない可能性も強い。
しかしそもそも死の判定基準の変更の問題が生じたのは臓器移植の問題からであった以上、臓器移植に絡まない死については基準を変更する理由はない。また、臓器移植に絡むケースであっても、当人が望まないのなら今まで通りであっても問題ないだろう。問題となるのは当人に臓器提供の意思がありながら臓器提供できない場合であって、だがこれは死の判定基準をこの場合だけ変更することで対応可能である。これがおそらく今までのやり方で、これはわりと合理的であると考えられる。問題となっている15歳未満の場合は当人の意志の確認が難しいが、親族と当人の双方の同意を取り付けられればとりあえず問題はないといえよう。(自分の死後の臓器についての自己決定権を認めないという考えもあるだろうが、それを認めると明確に死んだ状況でさえ臓器移植は不可能になり、これは議論の前提部分を崩してしまうので今は考慮しない)
しかし、死というともすれば宗教的要素の絡んでくる問題の判定法を自己決定してしまうのは混乱を招く可能性が高いが、本来の目的が臓器移植であったことを思い起こせば、もっと簡単な方法があるだろう。死の判定法と無関係に、自分がいかなる状況になったら臓器提供を認めるかについて別個に自己決定権を認めるという方法ならば、より簡潔にことはすむのではなかろうか。死亡判定を出す必要があるのは、医師は法律上死んでない人間から臓器を取り出すと犯罪になるからであるが、この基準を変更し、特例的に医師は当人の申し出があればある状況におかれた法律上は生きた人間から臓器を摘出しても犯罪にならないようなシステムを構築すれば、死の判定基準に頭を悩ませる必要はなくなる。臓器移植の観点のみから死の判定基準を決めてしまうと、他の法律における死の問題とさまざまな齟齬を生じる可能性がある。たとえば臓器提供のために脳死を死とする自己決定を行い、そして脳死状態になった人(死体)が、臓器を摘出される前に悪意ある人間に刃物でめった刺しにされ、臓器提供できない状況になった場合、めった刺しにした人の問われる罪は死体損壊でしかないのはいかにも不合理である。だが死の判定基準とは独立に臓器提供の判定基準を自己決定させるならこうした問題はなくなるし、臓器提供者の幅広い要望(例えば心臓死の状況に限り臓器提供を申し出る、ということも可能になる)に応えられるであろう。
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