石川旺『パロティングが招く危機』
パロティングそのものの構造はわりとうまく書けていると思うのだが、いかんせん筆者の政治的イデオロギーをベースに、(政治的に見て)一方の側のメディアの手法のみを批判するものだから、この本自体がパロティングを行っているように思えてならない。そしてそのおかげで、本書の論そのものが随所で矛盾するものになっている。
例えば
世論が二分されるような争点について、有力な大手マスメディアは、一方の側に立ったキャンペーンを展開するべきではないだろう。(p35)
といいながら
平和主義を前面に掲示し、武力を用いない問題解決法を模索する国家があってはならないのだろうか。(p41)
と「非武装平和主義」という非常に極端な立場を擁護するようにいう(そういう立場を擁護せず、現実主義的護憲論しか張らないメディアを批判する)のは明らかに筆者の偏ったイデオロギーの発露だといえよう。
実際、筆者の「左右」のバランス感覚は恐ろしいほどに左に偏っている。筆者は朝日新聞でさえ政権寄り=右だというが、その論拠は
たとえば、先に述べた首相のアメリカ訪問となれば大記者団を派遣し、成果の宣伝に一役買っているし、新しい首相が誕生すればとりあえず肯定的に評価する記事を載せつづけてきている。(p152)
である。首相の訪米は大きなニュースなのだから記者団派遣は当然だし、首相が実際に訪米で成果を上げたのならばそれは成果として認めるのもまた当然であろう。また、何も仕事をしていないのにいきなり新しい首相に批判的論陣を張ったとしたらそれこそ異常というものである。筆者の前提には、現行政権に対してはたとえ政権が成果を上げたとしても頭ごなしに「現行政権であるという理由に基づいて」批判されねばならないし、そうしなければ左派的でないという考えがあるのだろう。だがこの考えが相当に偏ったものであるのは言うまでもない。
また筆者は最後に「ニュースの論理的検証をすべきだ」という。それ自体はまったくその通りなのだが、筆者の持ち出す例が噴飯ものである。
筆者は、現在アメリカが保有する核兵器の総量の破壊力が原爆の数万倍をはるかにしのぐ量であることを指摘したうえで
仮に、本当に「仮に」であるが、現在のアメリカの指導者の英知はアメリカが保有する破壊力に見合う水準にあると想定する。そこでアメリカの指導者に対して野生のサルが持つ英知を、仮に数万分の一と考えた場合、サルは少なくとも広島型の原爆を保有するぐらいの英知水準ということになるはずである。(p176)
と言ってのけるのである。しかもこれは、ニュースの「論理的検証」の自明な例として持ち出されているのである。
当然のことだが、核の破壊力と核のコントロール能力(=英知)とが比例関係にあるなどということはまったく自明ではない。野生のサルがチェーンソーを操る能力を有してないのは言うまでもないが、チェーンソーの数万倍の破壊力を有する土木機械を人間はたやすく操れるし、そのことには何の問題もないに決まっている。破壊力と管理能力とは比例関係であるというのは明らかに誤っている。
そしてこんな陳腐な論理を「論理的検証の例」として恥ずかしげもなく持ち出してしまうあたりが、筆者の核=絶対悪、というバイアスに振り回されている証左だろう。
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