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残虐な刑罰

岡田克敏がアゴラで、絞首刑という死刑の方法を見直す必要があるのではという主張をしている。(処刑の方法
実際死刑の方法というのはあまり議論されないが、した方がいいというのは私も賛成だが、彼の論はロジックがあまり通っていない気がする。

まず彼は、中国で銃殺刑が廃止されて薬殺が導入されたというニュースを紹介する。そして

かつてギロチンは苦痛をできるだけ与えない人道的な装置とされていましたが、現在それを人道的と考える人は少ないと思われます。何が残虐かは相対的なものです。たしかに絞首刑は、古来の火あぶりや釜ゆで、イランの石打刑、サウジの斬首刑よりは残虐でないといえるでしょう。しかし薬殺が米国だけでなく、死刑大国の中国まで採用され主流となると、はたして絞首刑は残虐でないと言えるでしょうか。

とりあえず、中国の例からわかるのは銃殺と薬殺の対比だけであって、どうしてこのニュースから「絞首刑は残虐でないと言えるでしょうか(いや残虐である)」という話に飛ぶのかが理解できない。薬殺が主流になることと、絞首刑が残虐であることとは何の関係もない。

そして彼がことさらに気にしているらしいのが、世界から取り残されるという事態らしく、

死刑を存続している国が少数となっているなかで、死刑大国である中国が薬殺を採用するとなると、絞首刑を続ける日本は世界の流れから取り残され、存置国の中の少数派になりかねません。

などとも書いているが、少数派であることの何が問題なのか。絞首刑を批判したいなら、絞首刑のこれこれこういう部分が具体的に残虐で問題であり、それと対比して薬殺の方が良い、などというロジックを組むべきではなかろうか。

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