鳩山の二酸化炭素25%削減と、国際社会における「倫理」
鳩山は、2020年に二酸化炭素90年比25%減を掲げているらしい。
いまだに日本に不利な90年比という基準を用いているのはさておき、この行動の意味がわからない。
国際交渉の場において、「アメリカや中国も多く削減するなら、代わりに日本も25%まで削減します」と交渉のカードに使うのなら、まだ理解はできる。
だが一方的に宣言してカードを手放してしまい、一体何が進むというのか。他国も日本を手放しで称賛して「わかりました、日本は素晴らしい。だから私たちも日本にしたがって目標を高く設定します」などというとでも思っているのか。
実際中国は「「国際社会が日本に期待、要求しているレベルとは隔たりがある」と一層の努力を求めた。」(時事通信)とある。
大体倫理なんて「より倫理的な行動」がいくらでも存在する以上、いくら倫理的な行動をとってみたところで「もっと倫理的になれ」と要求してのけることが可能なのである。
口先だけでなら国際社会もほめそやすかもしれないし、鳩山はそれで満足なのかもしれないが、それは鳩山個人の気持ちの問題であり、国益とは全く関係がな い。まさか鳩山は「今こう言っておけば自分は将来「環境問題に積極的ないい首相」という評判を得られる。将来的にその目標を達成できなくても、その責めを負うのはその時の首相で自分は関係ない」とでも思っているのか。
そもそも倫理は国益に対してメリットを及ぼしうるのか。国際社会は国家は国益の尊重を旨としており、そこにおける「倫理」は、自国の国益を守りつつ他国に 負担を押し付けるためのカードでしかない。上記中国の発言はまさにそれにのっとった行動である。もちろん倫理というカード自体もその内部における妥当性を 有していなければカードとしての価値を失うだろうが、しかし少なくとも先行して倫理的負担を負えば他国も追従してくれるなどという甘い社会ではないのであ る。
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