竹島の教科書叙述の根には、結構哲学的な問題がある
竹島の教科書記述の問題が起きているようだ。
高校で2013年度の新入生から適用される新学習指導要領をめぐり、文部科学省は25日、地理歴史などの解説書を公表した。日本の領土問題に関しては、韓国が実効支配する竹島は例示せず、地理A・Bで新たに「中学校における学習を踏まえる」と記述した。中学の解説書で竹島を明記した昨年と対応が分かれた。
現行の解説書と同じく、例示した領土問題は北方領土のみ。鈴木寛文科副大臣は、竹島に関し「中学で北方領土と同様に指導するとしており、高校でも指導がなされる」と説明した。
明記しない理由として、学校の裁量を増やすために指導要領などを簡潔にする「大綱化」を民主党が目指していることを挙げた。「領土問題をどう教えるかは、相手国に配慮すべきではない」とも述べ、韓国への配慮はなかったと強調した。(時事通信)
本論の前に一つ。とりあえず「学校の裁量」というのは意味が違うと思う。教育現場において裁量が発揮されるのは「どのように」教えるかの部分であって、「何を」教えるかの部分ではないはずである。教えるべき内容を「わかりやすく」教えるのは教師の腕であり、それを教える対象によって変えるのは教師の臨機応変さであるが、「何を」教えるかは教える対象に依存しないため、「何を」における裁量権は教師が好き勝手出来るということしか意味しない。
朝日新聞の社説によると
領土問題について、日本の立場を正しく学ぶのは自然なことだ。そのうえで、ほかの国と争いがあるものは、相手の言い分にも耳を傾ける姿勢が必要だ。中学、高校の新しい解説書は、そのことを強調しているとも読める。
具体的な教科書記述を見ていないのでなんとも言い難いのだが、ここで想定されている教え方はおそらく「日本は「竹島は日本領である」と、韓国は「竹島は韓国領である」と主張している」みたいなものだろう。だが、このありがちな叙述は、実は結構哲学的な問題を引き起こすように思う。
この叙述の背景にあるのは「主張の相違がある場合には、双方の主張を記す」という(一種の相対主義的な)立場であろう。だが、この立場が実は一貫されてい
ない。なぜなら、韓国側はそもそも竹島をめぐる問題は起きていないとしている(し、韓国の教科書にもそういう感じの記述になっている)ので、「日本は「竹
島は日本領である」と、韓国は「竹島は韓国領である」と主張している」という主張自体が韓国側は受け入れていないからである。
この立場をとると意見の食い違いがある場合には「~である」とは記述せずに「~である、と主張している」という書き方をすることになる。ゆえに、この立場は無限後退に陥る。
具体的に言うと、まず最初の立ち位置は
日本:竹島は日本領である
韓国:竹島は韓国領である
だが意見の食い違いがあるので、
日本:「日本は「竹島は日本領である」と、韓国は「竹島は韓国領である」と主張している」
韓国:竹島は韓国領である(ここに争いはない)
となる、ところが、まだ意見の食い違いがあるので
日本:「日本は、「日本は「竹島は日本領である」と、韓国は「竹島は韓国領である」と主張している」と主張している。韓国は・・・」
韓国:竹島は韓国領である(ここに争いはない)
以下これが繰り返されて踏みとどまるところがない。
「~である」を「~である、と~は主張している」に転換してしまうのは、「真理は立場に依存する」というある種の相対主義的なものになってしまうが、この 立場は貫徹させることが出来ない。逆に、「~である」を「~である、と~は主張している」に転換してしまうのが、「真理は立場に依存する」という見方では ない(「真理は主張とは別に存在する」)という立場なら、そもそも日本の記述は「日本政府と韓国政府」についてしか記述しておらず、「竹島」については何 も書いてないことになってしまう。なぜなら、認識と真理が一致するならば、認識に関する叙述は真理に関する叙述になるが、そうでないならば認識(竹島はど この領土であると考えるか)についていくら叙述しても真理(竹島はどこの領土か)に関する叙述を行ったことにはならないからである。
そもそも韓国政府も日本政府も、自分たちが主張することとは独立に「竹島がどこの領土であるか」は規定されると考えている。つまり、認識と真理は分離されるという考え方である。これを「認識と真理が一致する」という立場(相対主義)において叙述しようとしたところにそもそもの誤りがあったのである。
具体的な叙述内容に移ると、事実として「竹島は日本領である」(少なくともそう認識し主張している)以上、「主張している」などという留保はとらずに端的 に「竹島は日本領である」と記述しなければならない。それが「主張」ということの意味である。そして、客観的な事実として「~年から韓国が実効支配してい る」等の記述をすればいいのである。
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