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理性の限界?(1)~不確定性関係

高橋昌一郎『理性の限界』という本をパラパラと見てみたのだが、生半可な理解で犯しがちなミスをことごとく犯しているので、何回かに分けてきちんと解説しておく。

まず相対論に関して少し取り上げよう。

司会者 時間と空間が相対的というのは、どのようなことなのでしょうか?
科学主義者 文字どおり、時間や空間も観測者の運動に応じて異なるという意味です。
(p134)

この説明はなんかポイントを捉え損ねている。相対性原理はアインシュタイン自身の原論文では以下のように定義されている

互いに他に対して一様な並進運動をしている、任意の二つの座標系のうちで、いずれを基準にとって、物理系の状態の変化に関する法則を書き表そうとも、そこに導かれる法則は、座標系の選び方に無関係である(A.アインシュタイン『相対性理論』p20)

つまり、相対性原理というのは「どの座標系からみても同じ物理法則でいい」ということである。例えば、私が静止していてAさんが一定の速度で遠ざかっているとき、「私が止まっていてAさんが遠ざかる」とみようが、逆にAさんの立場に立って「Aさんは止まっていて私が遠ざかる」とみようが全く同じ物理法則が成り立つということである。
なんか当たり前の法則のような気がするが、(この本では触れられていないが)静止エーテル問題というのがあって、もし静止エーテルが存在するならば、静止エーテルを基準として動いているか止まっているかが規定されるので、上記のような相対性原理は成り立たなくなる(プールの中では仮に私が止まってAさんが動いているならば、私を基準のとるかAさんを基準にとるかで、同じ物理法則が成り立つとは言えない(Aさんを基準にとったら水が押し寄せてくるように感じるだろう)ことをイメージしていただきたい)。ちなみに、空間が観察者に応じて異なるのはニュートン力学でも同じである。

さて、本題の量子論である。誤解の多い不確定性関係について、本書では以下のように導入される。


司会者 ミクロの世界では、あまりにも観測する対象が小さすぎるために、測定のために用いる光や電磁波そのものが対象を乱してしまうということですね?
相補主義者 そのとおりです。もう少し正確に言わせていただくと、一般に粒子の位置xと運動量pに対して、その不確定性をそれぞれ⊿xと⊿pとおくと「⊿x⊿p≧h/4π」が成立するというのが、ハイゼンベルグの不確定性原理です。
(p138)

この説明は途中で違う事柄に関する議論になってしまっており、要するに理解が中途半端であることを示している。筆者は「測定に関する不確定性」と「粒子そのものの持つ不確定性」の二つをごちゃごちゃにしてしまっている。これはこの本に限らず多くの一般書でありがちな間違いなので、以下順に説明しよう。
最初の司会者のまとめのいわんとしていることは、「測定においては光や電磁波といったものを測定対象に当てなければならないが、当てた反作用で粒子自体の 状況が変化してしまう」ということである。ハイゼンベルグが最初に提唱したのはこの形の思考実験で、⊿xは測定器の分解能(測れる位置の精度)、⊿pは光 を当てたことによってずれてしまう粒子の運動量を表している。
だが、このような考え方で得られる「測定器と反作用の不確定性」は、現在の量子論では⊿x⊿pをh/4πよりも小さくできることが分かっている(清水明『量子論の基礎』p85参照)。つまり前半部分と後半部分は全然違う現象を述べているのだ。
では筆者が言いたかったのは何だったのだろうか。

不確定性原理は、電子の位置と運動量は、本来的に決まっているものではなく、さまざまな状態が「共存」して、どの状態を観測することになるのかは決定されていないことを表しているのです。(p141)

現在の量子論で言われている「不確定性関係」は、上記の説明の方がより近い。不確定性関係というのはこういうことである。
まったく同じ状態の粒子を例えば2万個用意する。このうち1万個に対して位置の測定を行う。すると、まったく同じ状態であるにもかかわらず、得られる測定値はばらついてしまう。つまり、まったく同じ状態の粒子を測定しても、1回目には3の位置にいたのに、2回目には3.2の位置にいる、などということが起 きるのである。このばらつき具合(標準偏差)を⊿xとする。同様にして、残りの1万個に対して運動量を測定するとやはりばらつき、この標準偏差を⊿pとす る。この二つの標準偏差の積⊿x⊿pがh/4πより大きいというのが不確定性関係である。
説明を読めばわかる通りだが、①測定器とは何も関係がない、②不確定性は粒子が本質的に持つ性質である、ということである。

ちなみに、上記の引用部分の続きで

つまり、不確定性原理は「ラプラスの悪魔」が「原理的」に存在しないことを証明しているわけです。(中略)
要するに、ミクロの世界は根本的に不確定であり、未来は何も決定されていないのです。
(p141)

そんなことはない。不確定性関係は非決定論を帰結させない。実際、不確定性関係(ハイゼンベルグが提唱した方ではなく、現代量子論で言われている方)は、 ボルンの確率規則と位置と運動量の交換関係から導出できるが、これらはともに決定論的である。量子論では状態は波動関数で記述されるが、この波動関数 自体はこれらの仮定の下では「決定論的に」変化する。ただし、同じ波動関数を測定しても、測定ごとに異なる値が得られるというだけである。
ちなみに、では量子論も実は決定論なのか、という疑問が浮かぶかもしれないので答えておくと、答えは「ノー」である。量子論には「射影仮説」というものが あって、これは測定前と測定直後の測定対象自体の変化に関する仮説なのだが、この測定前後での変化が非決定論的なのである。

最後におまけでエヴェレット解釈について。シュレディンガー(なお筆者はシュレーディンガーと書いているがドイツ語の発音から言って「レ」は「レー」と伸ばす音ではない)の猫に触れつつ筆者は

多世界解釈では、その観測の瞬間に世界そのものが分岐し、一方の世界では「原子核崩壊が起きて猫が死んでいる状態」が観測され、他方の世界では「原子核崩壊が起きずに猫が生きている状態」が観測されます。
司会者 それは、観測のたびに起こるわけですか?
科学主義者 そうです。ミクロの世界で原子核が分裂し、それが観測されるたびに、世界が分岐していくと解釈されます
(p162)

エヴェレットの多世界解釈は、観測によって「観測者の意識」が分岐し、分岐したそれぞれの意識がそれぞれの(異なる)測定結果をみることになる、というものである。なので、分岐していくのはあくまでも「意識」の方であり「世界」の方ではない。(ただし「多世界解釈」という言い方が非常にミスリーディングで あるのはその通りである)

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コメント

はじめまして。最近この本を読みました。

こうった分野は完全に素人ですが、
ささやかな知的探求で色々な本を読んでます。

私もこの本の「不確定性原理」の所に違和感を感じ
これ間違ってるな、と思いつつ読み終えましたが
調べてみたらこのページが見つかりました。
やはりそうですよね。

もっと言うとEPRパラドックスの部分も
「量子もつれ」の説明等が一切無いままに踏み込んでいます。
これで読者の皆さんはきちんと理解できるのでしょうか???

こういった部分があると全般的に信用性が欠けてきますよね^^;
正しい部分が大半なのでしょうけれども・・・。

それと、
以前amazonのレビューに間違い部分を指摘したレビューを載せていませんでしたか?
(今はそのレビューは無くなっているようですが・・・)
そのレビューを見て、この本は買うのやめておこう!と思ったのですが、
しばらく時間が空いてすっかり忘れて買ってしまったんです;;

投稿: kei | 2011年2月20日 (日) 16時20分

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