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理性の限界?(2)~不完全性定理

さて今回はこれまた誤解の多い不完全性定理について取り上げる。

完全性定理については、本書ではわりと正しく書かれている。

簡単に言えば、論理の世界では、「真理」と「証明」が同等だということです。論理的に真理であるということは、公理系で証明できるということと同じであり、その逆もまた成立するということです。(p219)

ところが、そのあとの説明でいきなりおかしな方向へ行く。

ところが、数学の世界では、「真理」と「証明」が同等ではないわけです。つまり、数学の世界には、公理系では「汲みつくせない」真理の存在することが明らかになったわけです。このことを証明しているのが、「自然数論の不完全性定理」なのです。(p219)

一方の不完全性定理については以下のように説明される。

論理学者 それでは、ここで不完全性定理の結論を述べましょう。一般に、システムSが正常であるとき、真であるにもかかわらず、Sでは証明可能でない命題が存在します。(p224)

まず確認しておかなければならないことは、完全性定理の「完全」と、不完全性定理の「完全」とでは意味が全く違うということである。

完全性定理の「完全」は、すべての恒真(トートロジー)な命題が、決められた論理規則から導かれる(証明可能である)、という意味である。(ちなみに、す べての証明可能な命題が恒真であることを「健全」という。)ゲーデルの完全性定理では、一階述語論理が完全かつ健全であることを示している。

他方、不完全性定理の「完全」は、すべての命題について、命題「A」かその否定「¬A」のどちらかが決められた論理規則から導かれる、という意味である。 ゲーデルの不完全性定理では、自然数論を含む無矛盾な体系には、命題「A」かその否定「¬A」のどちらも論理規則から導かれない(証明できない)ような命 題が存在する、ということを示している。

なお、不完全性定理の方では、純粋にアルゴリズム的な話(これを「構文論的」という)しか出てこない。つまり「真」とか「偽」とかは一切登場しない。ゆえに「数学の世界では、「真理」と「証明」が同等ではない」という説明は、「完全性定理」の「完全」の意味で「不完全性定理」を解釈してしまっているので間違っている。しかも、算術の体系(一階ペアノ算術の公理系)は一階述語論理の中で記述されているので、完全性定理を適用することで、算術の世界でも同様に 「真理」と「証明」が同等であることは示すことができる。

そして、そもそも完全性定理と不完全性定理とで「完全」の意味が違うのだから、

司会者 ということは、論理の世界よりも数学の世界のほうが広いということですか?
論理学者 広いか狭いかというイメージでいえば、数学のほうが遥に広いというか、奥深い世界だということです。
(p219)

のような比較は全く意味をなさないのである。

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