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「離党」の意味

政治資金規正法違反で起訴されていた石川議員が民主党を離党したらしい。(asahi.com
この件にはあまり関心がないのだが、一つ気になったのが「離党」という行為が責任の一つのとり方として認識されているという事実である。擁護する側はもちろんだし、批判する側も「それでは責任の取り方として不十分」という感じの物言いである(自民党大島幹事長の「離党で済む話ではない」という言い方は「離党で済む話もある」ということだろう。時事ドットコム)。
だが個人的にはこの認識にものすごく違和感を覚える。

まず、「議員辞職」という行為が責任をとることになるのは、第一に議員というのは一定の選任プロセス(選挙)を経ないとなれないものであり、第二に制度的に保証された存在で、議員特有の権能と責務を有している、という点が挙げられる。制度的に認められた特権を自ら放棄するので、これは制度的に見て当人にマイナスの作用を及ぼすし、選出プロセスおよび法制度そのものはその正当性を国民によって与えられているので、議員辞職は国民に対する責任の取り方だと言える。(なお、会社で問題が起きた際に社長が辞職するのは、会社が社会的信任を得る必要のある存在であり、問題が起きたということは、会社そしてその代表たる社長がその信任を取り付けられなかったということなので、社長の辞職も広く捉えれば対国民だと言える)
また、もっと簡単に考えて「議員として不適格であったから、(国民から信任を受けている)議員として残るべきではなく、議員を辞す」という理由建てでもいいだろう。あるいは辞めるほどの問題ではない場合には、大臣やその他得ていた職を降りる、給料を一部返納する、次回出馬しないことにする、などの措置があり得よう。

さて、問題の離党である。第一に、民主党に所属するか否かというのは法制度的な問題ではなく、純粋に党自身の問題である。制度上は民主党に属することにいかなる特権も付与していない。ゆえに、離党するかしないかは民主党やその他の政党(票読みとかの話がある)にとっては関心事項かもしれないが、一般の国民にとってはせいぜい「議員が意見を変えた」程度の意味しか持っていない。
第二に、「民主党員として不適格である」ということは、当の民主党の首脳部がそう思うことはあるかもしれないが、一般的には民主党員は別に「選ばれし者」でも何でもなく、ただ「政治の場で効率的に活動するための、意見が近い者同士の集まり」なので、民主党員に適格性も何もあるはずがない。
というわけで、離党というのは徹頭徹尾民主党の内部事情の問題であり、国民に対する責任の取り方としては全く機能しない。「離党や辞職はしません」と以前石川議員は述べていたようだが、(その発言が覆ったことをここでいいたいのではなく)「離党」と「辞職」を並立関係において考えている段階ですでに間違っているのであり、それに違和感を覚えない民主党首脳部や他の党の首脳部も、やはり「党本位」の考え方しかできていないのである。
そう、石川議員は記者会見で「これ以上党に迷惑をかけられない」と語ったらしい(上記asahi.com参照)が、迷惑の対象として「国民」ではなく「党」が出てきてしまうあたりに、民主党しか見えておらず、国民は眼中の外、という構図が垣間見れる気がしてならない。

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