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南京事件に関する数についての不毛な論争

日中歴史研究報告書が発表されたらしい(時事ドットコム)。ここで南京事件についても触れられていて、いろいろの場所で取り上げられているようなので、個人的には瑣末な問題だとは思うのだが、誤解も蔓延っている問題なので簡単に整理しておこう。

まず日本側が「20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」と主張したとあって、一方の中国側は30万人(判決文の引用という形しか記事には載っていないので確証は出来ないが、過去の中国側の発言からはそう考えるのが自然)と主張している。20万と30万ならほどほどには近いのかな、と思うと大きな落とし穴がある。この二つは南京事件の定義が違っているのである。


(藤原彰氏の発言)(前略)笠原先生は近郊農村を含めた範囲についての報告だったが、孫先生の「南京大虐殺の規模について」という報告の中で、範囲はどのようにとっておられるのか伺いたい。これがはっきりすると日本側との間で整合性ができると思うので。
(中国側歴史学者、孫宅魏氏の発言)私は南京の周りの県を含めるという笠原先生の意見に賛同する。しかし犠牲者数については問題がある。私たちが言ってい る30万というのは、まわりの六県その他の地域を入れていない。これは新たな課題として考えていきたい
(藤原彰『南京事件をどう見るか』p146 強調引用者)

ここで挙げられている「笠原先生」というのは笠原十九司氏のことで、日本では十数万説を唱えている人である。つまり、日本側の20万説は「まわりの六県その他の地域」を含めた値であるのに対し、中国側の30万説はそれを含めていない値なのである。

さて、日本側の人数の差異がどう生じたかを見よう。まず上記のように、範囲や日時を広くとることで虐殺数を多くしていることもあるが、これは虐殺の範囲を きちんと見ればすぐわかるので大した問題は起こさない。問題は次のタイプである。「虐殺」の定義は「国際法上違法な殺人」でほぼ一致しているのだが、国際法の解釈が人によって違っているのである。これは法的には議論になりえるが、起きた事実自体は変化しないので、歴史家の関わるべき問題ではない。にもかか わらず国際法がらみのずれも多くの場合に生じている。
具体的にはどういうずれが生じているのか。基本的には

・敗走兵の殺害は違法か
・便衣兵(ゲリラ)の裁判抜きの殺害は違法か
・司令官の指示によらない投降兵の殺害は違法か

の3点をどう考えるかで決まる。全部合法にする人は虐殺まぼろし派に多く、全部違法にする人は十数万虐殺派に多い。
国際法的には「敗走兵=合法」「投降兵=違法」はほぼ明白である(後述)。難しいのはゲリラのケースで、これは私見では「違法とまでは言えない」という考えだが、違う考えの人もいるだろう。
ただどちらにせよ、法解釈の問題は史実の問題とは別であり、法解釈いかんで虐殺の人数は大きく動く。敗走兵の殺傷まで虐殺に入れれば20万、ゲリラの裁判 抜き処刑(を虐殺に入れると4~6万で、これを抜くと1~2万になる。だから実は南京事件は歴史家の出る幕はもうほとんど残されていないのである。

そして、大枠の数値を出してしまえば、細かい数字の議論は無駄であろう。なぜなら、そもそもさまざまな事情により殺された兵士、そして同じくさまざまな事情により殺された市民、という性質の異なるもの同士を足し合わせることが妥当なのかさえ疑問だからある。リンゴ3個とミカン8個を足して11個、と言って いも、その「11」という数字が意味を持たないように、まったく性格の異なる兵士の死者と市民の死者の人数を足した数字も、意味を持たないものである。


最後に、あまり意味はないと延々言っているが、書いた以上一応敗走兵と投降兵についての国際法上の話を記しておく。

とりあえず、国際法の一般的な原則は以下のようになっている。

(1)規制の一般原則
 戦時国際法は軍事的必要(principle of military necessity)と人道的考慮(principle of humanity)の二つの原則のバランスの上に成立した法である。
 すなわち、相手国の戦力を弱めるために必要な手段・方法をとることは原則的に許されるが、他方、そのために必ずしも必要ではない手段は人道的考慮から規制される。
(杉原高嶺・臼杵知史・加藤信行・水上千之・吉井淳『現代国際法講義 第二番』p465)

この点を踏まえて、個別の問題を見ていく。
まず、中国軍の投降兵の処刑は全般に合法とする説について。その根拠は、ハーグ陸戦条約1条にある捕虜資格の条件「1 部下ノ為ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト」とあるが、中国側の唐司令官は逃亡していたために、この資格を失っていたというものである。
だが、この論理は明らかにおかしい。この項目の理解としては、だいたい以下のようなものが一般的である。

(一)の部下の為めに責任を負ふ者が其頭に在るを要するの条件は、頭に在る者が、正規的ならずして、一時的なりとも将校として任命を受けたる者なるとき、 若しくは其の顕要の地位に在る者なるとき、又は隊中の将校兵士が政府の興ふる証明書又は徴章を携へ、之に依り各箇の将校兵士が自己の責任を以て行動する者 に非ざることを示すに足るときは、充されたるものと認むるを得べきである。

 但し国家に依る証人は、必ずしも必要とする所に非ずして、兵団が自ら編成され、自己の将校を選むことあり得べしと認められるのである。
(立作太郎『戦時国際法論』p63)

要するに、政府の指揮下で統制をとって動け、ということである。確かに、個別にバラバラと投降してきて、自軍の安全が確保できない場合には投降が拒否される場合もあるが、統制をとって投降を申し込んできた部隊を、軍事的必要性もなく殺害するのは明らかに違法である。

次に、敗残兵の殺害は違法だという説について。その根拠は、南京にいた敗残兵は実質的に戦意を喪失していたから、これは一方的な殺戮だとしている。あとは、同情の引けそうな具体例を並べているぐらいである。
だが、戦意を喪失していたとしても、それを相手国に意思表示、要するに降伏の意思表明、を行っていないのであれば、相手国軍からは戦意ありとみなされる。 この手の主張は便衣兵が実質的には戦意を失って隠れていただけだ、という説にも見られるが、降伏の意思表示をしない限り、法的には戦意ありとみなされるの は当然のことである。

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コメント

別宮暖朗という歴史家は非常に面白いことを言っています。
南京事件は、捕虜の虐殺だと。その理由なんですが、殺された人々は、上海で日本軍を包囲していた国府軍部隊70万の一部なのだと。
ヒトラーの電撃戦(戦車集中使用)以前の世界の軍事技術では、厳重に防備された縦深塹壕を突破するにはロシア人が発見した浸透戦術しか知られておらず、その浸透戦術の大規模実施に成功すれば、その副作用として多数の捕虜が出ることが第一次大戦から知られていたそうです。つまり、万単位の捕虜の記録が無い以上、南京事件はその結果だと。そして、日本軍は予めこのことは研究済みでわかっていたにも関わらず、作戦参謀は作戦計画の中に捕虜の収容を含めなかったと。こうなれば、現場の兵士たちは捕虜を殺害するしかなくなるというものです。

投稿: c-ROM | 2010年3月24日 (水) 00時54分

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