核密約と原爆被害
核密約があったということでいろいろとニュースになっている。その中で広島・長崎の被爆者団体が強く抗議しているというニュース(時事ドットコム)があるのだが、なんか少しずつずれているように感じられる。
第一に「国民を欺き続けたこれまでの政府の責任は重い」などという、政府の公式発表と実際の政策が乖離していた(密約が存在していた)という事実については、民主主義国家における外交と密約の問題であって、これは非常に難しいものだと思うが、とりあえずここで起きている問題は純粋に形式的・手続的正義の問題であることには注意しなければならない。
だが被爆者団体はこれにつづけて、核そのものの非道性という実質的正義についての主張を行っている。実際「被爆者団体」と言っているように、こちらの方が本当の主張であろう(そうでないならば、核以外の密約についても彼らは抗議しているはずだ)。だがそうだとすれば、上記のような形式的な正義の問題を持ち出して、実質的正義の問題を論証したかのように仮構するのは誤りだということになる。
では純粋に「核への反対」という観点から今回の被爆者団体の行動を見るとどうなるか。すると再び、彼らの行動は一体何に反発しているのか分からなくなる。核批判というのは要するに「核使用(による被害)、ないしその危険性の向上」に対する反発である。核拡散や核増強は核使用の危険性を増大させるので、「核の被害は悲惨であり、繰り返されてはならない」という観点から批判が可能である。しかし、過去に日本に核が持ち込まれていたというのはどうだろうか。結果として核は使用されていないし被害者は誰もいない。だとすると、過去に使用されなかった核の問題を言いたてるのは彼らの擁護する理念からは何一つ帰結しないことになる。
第一、核の使用を食い止めたいなら、核を保有しているわけでもない日本で運動するのではなく、核保有国の米中ロ英仏、あるいは印パや北朝鮮、などに働きかけるようにした方がはるかに彼らの理念は達成できるのであり、日本で騒ぐのは理念に対して誠実でない。
さて次に密約全般の話だが、もし密約をもっときちんと探し出して公開させたいのならば、現在のような行動は逆効果以外の何物でもない。これは考えればすぐわかることだが、密約が出てくるたびに外務省などが批判されるのならば、密約を探すインセンティブはどんどん低下するに決まっている。逆に密約が出てきたらそれはすぎたこととして史実として叙述し、さっさと先に進むほうが、密約を出すインセンティブは上がる(下がらない)。ゆえに、密約を表に出すことを目標とするならば、昨今のような姿勢をとるのは極めて不合理である。しかし、ではないとすると一体彼らは何をしたいのだろうか。今後密約を結ばないでほしいというのなら、外交の可視化のための制度構築とか、そういう方に奔走した方がどう考えても効率がいい。
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コメント
密約、密約というけれど、これは議会で承認されたものではないですよね。外交官同士の取り決め程度と聞きました。通常、いわゆる条約として効果を持たせるためには、民主主義国家では議会の承認を経ねばなりません。この時点で公開となってしまいます。
そして、条約とは公開されて始めて効力を発揮するものです。密約では、条約締結の影響を受ける第三国に対して、知らないわけですから、意味を持ちませんし、相手側に条約を破られたとしても、文句言えません。
投稿: c-ROM | 2010年3月18日 (木) 01時49分