非人道兵器の人道性
通常非人道兵器と呼ばれる兵器、BC兵器、地雷、ダムダム弾、毒ガス等は、通常兵器と比べても非人道的であるとされ、戦闘での使用が禁止ないし制限されている。だが、本当に非人道兵器は人道的でないのだろうか。
これら非人道兵器の特徴として「悲惨な後遺症が残る」という点を挙げられる。ダムダム弾や毒ガスによる攻撃を受けた兵士の、戦後にも苦しむ姿というのが、こうした兵器の規制の運動ではよく取り上げられるし、ドキュメンタリー等でもそうである。
しかし、である。後遺症が残っているというのは裏を返せば「死んでいない」ということである。ここで取り上げた非人道兵器は、兵士を「殺す」という観点からすると能力が低い(要するに傷つくだけで死ぬ人は少ない)ものである。殺すことと傷つけることのどちらが非人道的かと言ったら殺す方であろう。そう考えると、通常攻撃を受けたら速やかに死んでしまう銃や爆弾と比べ、傷つけるだけで殺す能力は低いダムダム弾や毒ガスの方がより人道的であるということが出来てしまう。
ここで一つの反論が考えられる。こうした非人道兵器は、非戦闘員をも巻き込むからダメなのだ、と。
確かに戦闘員と非戦闘員の区別というのは人道性の観点からは重要である。だがそれは兵器の「使用方法」に依存するのであって、兵器そのものによるのではない。地雷の場合は若干難しいが、他の兵器は民間人がいないような状況で使用すれば問題ないことになる。
環境汚染という視点もあろうが、そもそも銃弾や爆弾が大量に降り注いだりした段階で相当に土壌汚染は進んでいるわけであり、その視点から非人道性がいわれているとは考えにくい。
もともと戦争における攻撃というのは、敵兵を殺すことが目的なのではなく、敵の攻撃・防御能力を低下させることが目的なので、敵を殺すよりも傷つける方が合理的である。なぜなら、死体はそのままで放置できるが、負傷兵は運搬に二人必要だし、看護等に多くの物資と人員をとられてしまうからである。実際、対人地雷はあえて死なない程度の爆薬しか入れていないという。
なので、人道性という観点からも、戦争そのものの合理性という観点からも、非人道兵器を認める方が、逆説的だがより人道的な帰結を生むのである
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コメント
別に非人道的な兵器は、殺傷能力の強い兵器のみと比べられて規制されているわけではないと思いますし、「殺すことと傷つけることのどちらが非人道的かと言ったら殺す方であろう」とおっしゃいますが、まさにその点が論争になるわけで、その点に関してもっと根拠をしめして論証しない限り、独断的なものにならざるを得ないのではないでしょうか。
投稿: | 2010年6月22日 (火) 00時45分
さっき、たまたまマクロ経済学で検索していて、ここにたどり着きました。
このエントリー、相対論と絶対論がごちゃまぜになっていますね。
相対的には殺すことのほうが傷つけることよりも非人道的ですが、
絶対的にはどちらも非人道的です。
相対的には殺す兵器のほうが、「より」非人道的かもしれませんが、絶対的には兵器は全て非人道的です。
そういう意味で非人道兵器は非人道的です。
ボクはよく相対論と絶対論をごちゃまぜにする事例を気にするので、こういう記事を書いたりしています。
http://d.hatena.ne.jp/B-CHAN/20100719/1279528322
投稿: B-CHAN | 2010年8月14日 (土) 19時12分