チュニジア、エジプト、あるいは民主化の波は来るのか
チュニジアで大統領が追い出され、エジプトでもムバラク大統領への批判が高まっていることもあり、「アラブ・アフリカ圏の抑圧的体制下に民主化の波か」という見方や機運も高まってきているようである。だが、そういう単純な見方ではいくつも見落とされている点があるように思う。
まず、両国の共通点として、イメージとは裏腹に両国は「そこそこよい経済状況にある」という点が挙げられる。チュニジアは経済についてはかなり成長しており、EUともFTAを結んでいたりし、経済政策の成功は高く評価されている(例えば鷹木恵子編『チュニジアを知るための60章』)。エジプトはそこまでではないが、それでも「アラブ諸国の優等生」と見られることも多く(池内恵『アラブ政治の今を読む』)、外務省のデータでは
現ナズィーフ内閣は、投資環境整備による外国直接投資の誘致、国営企業の民営化などの経済改革を推進中。実質GDP成長率が4.7%と国際金融危機に端を発する世界的景気後退の中比較的堅調。しかし、高い失業率や貧富の格差が存在。(外務省)
となっている。エジプトもまたEUとはFTAを結んでおり、リベリアやジンバブエのような閉鎖的経済状況とは全く異なる環境にある。
さらに、あまり知られていないが、チュニジアは教育制度や女性の権利がよく保障されている国である。
独立以来一貫して初等教育の普及と高等・専門教育の充実に力を入れている。義務教育対象年齢は6歳から16歳、期間は9年。また、女性の権利保障と社会進出を重視した法整備も進められてきた。特に、一夫多妻の禁止と世俗的法に基づいた離婚の権利(1956年)、女性の参政権(1959年)が保障されている。バースコントロールの普及にも積極的である。(外務省)
もちろん両国とも政治的自由が抑圧されてきたのはその通りである。だが、今日のような市民的反乱がおきている地域は「最悪な状態で非常に抑圧的な国家」ではなく「ほどほどのレベルにある抑圧的国家」であるという事実はまずは認識しておいた方がいい。
その上で、両国で起こったことをもう少し詳しく見てみよう。
まずはチュニジアである。ベン・アリ元大統領が追い出され、市民の力による民主化が進んだかの印象だが、追い出されたのはベン・アリ元大統領だけであり、首相も議員も軍部も全員元のまま残っている(ガンヌーシ首相が大統領代行を務めたりしたぐらい)。旧勢力を排除する動きもあるようだが、基本的には民主化等々というよりは「上位層同士の政争」の様相は否めない。
エジプトの場合、軍部がムバラクの後継者と目されていた息子のガマルを好んでいなかった(ガーディアン)との背景事情もあり、民主化というよりは軍部と大統領府との攻防であり、そこにおいて民衆があおられたという面も多分にあるであろう。
もちろん運動をしている当のエジプトの若者は民主化を考えているのだろう。例えば「エジプトの若者からのメッセージ」がウェブに流れている。邦訳なのに肝心の原文(英語)へのリンクが張られていないので信用できるのか自体怪しいところもあるが、一応これが書かれたという事実自体は信用しておこう。だが、このメッセージにおいてはムバラク政権下での抑圧状態と、政権および諸外国への批判は雄弁に語られているが「ではムバラク政権を倒した後に、どのような体制を構想しようとしているのか」はついに語られない。
両国の状況を見ている限り、「トップを追い出すことには成功しても、その後の政治体制のビジョンが存在しないために、結局他の者が同じような独裁的な支配を始める(民主化は進まない)」という流れが存在しているようである。この遠因には、よく取りざたされているfacebook当のウェブの力があったように思う。巷で言われているように、この動きにはfacebookは一定の役割を果たして入る。だが、どのような役割かというと、多くの人々の思うところとは反対に「この市民的な動きが民主化に結び付かないこと」に役立っているとさえいえるかもしれない。
ウェブの一つの特徴は「指導的な人間がいなくても、方向性をもって組織的な行動がとれる」という点であろう。この特性は、とにかく何かを「倒す」という破壊の方向においては有力なものとなる。だが、破壊の後に新たな政治体制を構築する段階になると話は変わる。「作る」という段階においては、指導的な人間によってまとまってビジョンを作り上げる必要があるのであり、オープンソース的な方法ではうまく行かないのだ。ゆえに、独裁政権を倒したところで、その後に「民主的政権」を作り上げるべきリーダーが市民の側に不在であり、その間にするりと別の独裁者が入ってきてしまい、結局既存の(抑圧的)体制はそのままになってしまっている。
もう一つ注意すべき点として、最初に述べた「ある程度マシな国家でこういう動きが起きた」というポイントをよく考えてみよう。これらの国々よりはるかに抑圧されている国家の独裁者がこの状況を見たらどう思うだろうか。「そうか、わずかでも政治的自由とかを認めると市民が行動を起こして自分(独裁者)に反旗を翻すのか。ならばわずかでも市民の政治的自由を認めるのはやめておこう」と思うだろう。すなわち、最も抑圧的国家においては、民主化はより困難になるということである。
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