小澤の不等式の実験は、量子力学や不確定性関係を否定しているのか?
量子力学を知らない人でも「ハイゼンベルグの不確定性原理」という言葉は聞いたことがある人が多いだろう。「小さいものは位置と速度を正確に測れない」「これこそが量子力学の本質」のような理解をしている人も多いに違いない。
そして先日、この「不確定性原理が成り立たないことが示された」という見出しのニュースが流れてきた。
読売新聞「不確定性原理に欠陥…量子物理学の原理崩す成果」
毎日新聞「量子力学:不確定性原理に欠陥 名古屋大教授ら実証」
日経新聞「「不確定性原理」矛盾実証次世代技術を後押し」
東京新聞「量子力学 不確定性原理に誤り 名大など実証」
朝日新聞「物理の根幹、新たな数式 名大教授の予測を実証」
しかし、ただでさえ誤解の多い量子力学の、極めてデリケートな部分についての研究なので、内容的に誤っている記事も多々見られる。そこで、正しくきちんと理解するために、「不確定性原理」の意味、今回の実験や小澤の不等式で何が示されているのか、をきちんと見ていこう。
①ハイゼンベルグの最初の思考実験
最初にハイゼンベルグが「不確定性原理」として言いだしたものは、彼の思考実験に基づいたもので、厳密に証明されたり実証されたりしたものではない。まずここに注意。
では彼のアイデアはどのようなものだったのであろうか。彼は、ガンマ線を用いて粒子の位置を測定する、という状況を考える。しかし、普通に測定すると測定器の分解能(どのぐらい細かいものまで精密に測ることができるか)の大きさのせいで誤差が出てしまう。例えば位置を測ったら「12.5ミリと12.6ミリの間のところにいる」とわかったとすると、この12.5ミリと12.6ミリの間のどこにいるのかまではわからない。この0.1ミリの幅が「測定誤差」である。
より正確に測定したいと思ったら、分解能を上げて誤差を小さくする必要がある。先程の例なら0.1ミリまでは見ることが出来たが、これを0.01ミリまで見られるようにすれば、これまでの10倍正確に位置を測ることができる。ところが、より細かいところまで厳密に見ようと思うと、より強いガンマ線を用いる必要が出てくる。しかし、「より強いガンマ線を粒子に当てる」というのは「より早いボールを的に当てる」のと同じで、ボールが早ければ早いだけ当たった的は大きく動いてしまうように、より強いガンマ線を当てるとそれだけ粒子は動かされてしまい、もともとの粒子の速度から大きくずれてしまうのである。
この「位置の測定精度」と「測定によって発生してしまう、粒子の速さのずれ」を掛けたものは、ある一定の値よりも小さくすることは出来ないのではないか、これがハイゼンベルグの最初の思考実験である。
歴史的にはこれが発端なので、この関係が「ハイゼンベルグの不確定性原理」と紹介されることもある。
②厳密に示された不確定性関係(ケナード・ロバートソン不等式)
次に、通常の物理学の教科書で「証明」されている不確定性関係(ケナード・ロバートソン不等式)を見よう。これは「証明される」と書いたように、いくつかの量子力学の原理から数学的に厳密に証明できる関係式である。そして非常に厄介なことに、これは①で見た「不確定性原理」の関係式とは、式そのものは表面的には似ているが、その意味は全く違う定理なのである。
この「不確定性関係(ケナード・ロバートソン不等式)」は簡単に言うと以下のような内容である。
まず、全く同じ粒子を2万個用意する。そして、最初の1万個について、1つずつ順々にその位置を測定する。この測定では、①で見たような「測定誤差」の存在しない、完璧な測定器が用いられたと仮定しておく。そうしたら、直観的に考えると全く同じ値が1万回すべての測定で得られると思うだろう。ところがどっこい、である。量子力学によると、「全く同じ状態の粒子」を測っているにもかかわらず、一般には異なる位置の値が測定結果として得られてしまうのである。つまり、全く同じ粒子の位置を測っているにもかかわらず、ある場合には「12.3ミリのところにいます」という結果が得られ、別の場合には「12.5ミリのところにいます」、さらに別の場合には「13.1ミリのところにいます」という結果が得られたりすることが起きるのである。
「なぜそんな不思議なことが起きるの?」と思うであろうが、これについては、膨大な数の実験がなされていて、そのすべての結果を上手く説明するには、このような事態が発生していると考えざるを得ないからだ、としか答えようがない。その意味で、この性質こそ自然の基本的な法則であり「原理」であると言ってもいい。
さて、1万個の測定データが得られたので、そうすれば「平均値」や「分散(平均からどれだけずれているか、値がばらついているか、の指標)」を統計の計算によって求めることができる。測定器は位置を精密に測れることを仮定しているので、この「位置の分散」の値は、純粋に「粒子の状態」にのみ依存している。要するに「粒子がどのような状態なのか」が式できちんと分かっていれば、「位置の分散がいくつになるか」はきちんと計算して求めることができるのである。
同じようにして、残りの1万個について、粒子の「速度(厳密には、速度に質量を掛けたもの)」を測定して、そのデータから「速度の分散」が計算できる。
そしてこの「位置の分散」と「速度の分散」を掛け合わせたものが、ある一定の値よりも小さくできない、というのがケナード・ロバートソン不等式の内容である。「分散」は「測定結果がどのくらいばらつくか」の指標でもあるので、この不等式は「位置を測定しても、速度を測定しても、値がほとんどばらつかないような粒子の状態、というものは存在しない」ということを示しているともいえる。
注意としては、この「分散」というのは「粒子の状態」によって完全に決まってしまうものであって「どういう方法で測定したか」というのとは関係のない概念であるということである。
さて、①の「ハイゼンベルグの不確定性原理」と、②の「不確定性関係(ケナード・ロバートソン不等式)」とは全然違う内容であることはこれで分かったと思う。①では「測定した後どうなるか」が問題となっているが、②では測定後のことは一切問題になっていない。
そして、通常の物理の教科書では、きちんと証明・導出もできる②の方を「不確定性原理」として紹介している。ただし、証明できるものを「原理」と呼ぶのはよくないと思うので、私は「不確定性関係」と呼ぶ方がいいと思っている。
では冒頭で紹介した実験の話に戻ると、今回の実験で示されたのは、このうち①の方が成り立たない場合もある、ということである。そもそも①の方は思考実験でしかなかったのだから当然でもあろう。小澤の不等式というのは、この①の方の「測定精度」や「測定後のずれ」というものついてきちんと数学的に定式化した上で、それを量子力学に基づいて計算して、どういう不等式が成り立つかを導いたものである。量子力学は「①で述べたラフな思考実験は成り立たなくてもいいが、小澤の不等式は成り立つ」ということを予言するので、今回の結果はまさにこの量子力学の予言が当たっていることを示すものなのである。
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