小澤の不等式の量子推定理論における意味及び若干の批判的検討
前の記事で不確定性関係の意味及び小澤の不等式の意味の簡単な説明を見た。ここでは、さらにすすんで小澤の不等式の量子推定理論における意味を見ていこう。
③アーサー・グッドマン不等式
前の記事で見たように、不確定性関係(ケナード・ロバートソン不等式)は、位置と速度の分散に関する関係式であった。しかし①の測定精度と測定によるずれの関係もまた物理的には重要なので、ハイゼンベルグのような直観的な方法ではなく、何らかの厳密な記述をしたいと考えるのは自然である。そこで導かれたのが「アーサー・グッドマン不等式」というものである。
この不等式は、「測定精度」と「測定による速度のずれ」という関係の問題の代わりに「位置と速度を一緒に測るときにどうなるか」の問題を扱っている。このように言い変えてしまっても構わないのは、以下のような理由による。
「位置の測定による速度のずれ」を知るには、「位置の測定」の後に「精度の完璧な速度の測定」を行う必要がある。この二つを立て続けに行うことで、「精度」と「ずれ」の二つをともに求めることができる。しかし、結局この2回の測定で「位置」と「速度」の測定がそれぞれ行われており、位置と速度に関する何らかのデータがこの一連の測定で得られるのだから、これは「位置と速度の両方を測るような測定」の一種であることが分かる。なので「位置(の精度)を測った後に速度(のずれ)を測る測定」という、これまで問題にしてきた測定は「位置と速度の両方を測るような測定」のある特殊なケースであり、後者についての一般的な理論が得られれば、自動的にこれまで考えてきた「精度とずれ」の問題も解決される。
さて、前の記事の②で見たように、測定精度が完璧な測定をしてもなお、位置や速度はばらついてしまうというのが量子力学の本質的な性格であった。そして、「位置と速度の両方を測るような測定」によって得られる測定結果は、元のばらつきよりもさらに大きくばらつく。この「両方測るような測定」において、「位置の測定結果のばらつき」と「速度の測定結果のばらつき」とを掛け合わせたものが、ある一定の値よりも小さくできない、というのが「アーサー・グッドマン不等式」の主張である。
ただし、この不等式では実は測定の種類にある条件を課している。それは「精度が完璧な測定の場合の位置/速度の平均値」と「両方測る測定の位置/速度の平均値」とが一致するというものである(これを「不偏測定」という)。要するに、「両方測る測定」では、本来よりも値がばらついてしまう(精度が悪くなる)のはいいけれど、そもそも全体がごっそり横にずれてしまうような、そういうひどいタイプの測定ではいけない、ということである。
この条件があるので、アーサー・グッドマン不等式の議論では測定の誤差を「実際の測定結果のばらつきの度合いー精度が完璧な測定の際のばらつきの度合い」で定義できる。要するに、位置と速度を両方とも測ろうとしたために、大きくなってしまったばらつきの度合いが「誤差」として定義されているのである。
④小澤の不等式
さて、アーサー・グッドマン不等式は測定の方法を不偏測定に限定してしまっていた。しかし、せっかくだからもっと変なタイプの測定でも大丈夫な理論を作れないだろうか。そうやって考えられたのが「小澤の不等式」である。
小澤の不等式は、アーサー・グッドマン不等式の測定の条件を緩めた際に、どういう関係式が成り立つか、として導かれた関係式である。
しかし一つ問題が出てくる。誤差の定義である。今回の場合、測定に条件が課せられていないので、「精度が完璧な測定の場合の位置の平均値」と「両方測る測定の位置の平均値」が一致する保証はない。測定結果の値が全体として大きくずれてしまうような、そんな変なタイプの測定機までこの不等式はカバーしなければいけない。そこで、「元々の位置の平均値(=精度完璧な測定の場合の平均値)と、実際の測定結果の差」について二乗平均をとって、これを小澤の不等式における「誤差」として定義している。
⑤小澤の不等式の問題点(として批判がある部分)
小澤の不等式に対しては、実は批判も存在している。最後にそれを概観しておこう。まず注意すべきは、小澤の不等式は、量子力学の原理から数学的に導かれるものなので、その式自体は絶対に正しい、という点である。では、間違いようのない式のどこに問題がありうるかと言えば、そこで用いている「語の定義」の問題なのである。
小澤の不等式では「誤差(今までの説明における「測定精度」に対応する)」をある式で書き「これを「誤差」と定義します」と述べている。しかし、そこで定義された「誤差」が、通常私たちが用いる・イメージする意味での「誤差」と同じものを指しているかは全く保障できない。そしてこの問題は数学的な問題ではなく「私たちが、どの定義を用いることを最も合理的だと思うか」という問題なので、数式の変形の正しさによって証明できるものでもないし、実験によって検証できるものでもない。
では、小澤の不等式における誤差の定義は不合理なのだろうか。ここで、小澤の不等式における誤差の定義がもっとも直観と反する例を考えよう。ここに、ある「ダメな体重計」がある。どうダメなのかというと、重さを示す針が接着剤で固定されていて、体重計に何をのせようとも30kgという値しか示さないのである。これでは体重計としては何の役目も果たしてくれない。ここで「偶然にも」この体重計に丁度30kgの重さの荷物をのせたとしよう。すると、針の指している値と実際に乗っている荷物の値は完全に一致している。小澤の不等式における誤差の定義に基づくと、このとき「誤差はゼロ=完璧な制度の測定」ということになる。しかし、この「ダメな体重計」を用いた測定では、荷物の重さに関する情報が何も得られないのだから、そもそも「誤差」という概念が成り立たないと考える方が自然であろう。
抽象的にまとめると次のようになる。小澤の不等式における誤差の定義では、「測定結果」と「測定されるものの状態」の二つの「値」のみに注目しており、その二つがどのように結びついているか、という「情報」の観点が抜け落ちているのである。通常の「誤差」概念では「得られた情報」の問題として捉えるべきなのに、この定義だと不合理ではないだろうか、というのがこの批判である。
この批判の側に立つと、誤差というのは「得られた情報」をベースに定義されるべき概念だということになる。そうした考え方で定義された「誤差」に関する、一般的に成り立つ不等式の研究として、例えばUncertainty Relation Revisited from Quantum Estimation Theoryといった論文が存在する。
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