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ネット選挙解禁の可能性~90年代選挙制度改革の歴史との比較

最近、ネット選挙解禁に向けた運動が盛んである。ONE VOICE CAMPAIGNという運動が盛んであり、集会はニュースでも取り上げられている(「ネット選挙運動解禁への課題は“国民の無関心”?――与野党議員と津田大介さんら議論」)。
もちろんネット選挙に対しては、その効果は思ったよりも大きくないという指摘も存在する(「インターネットが政治的関心を高めない理由」)。しかし、ここではネット選挙の賛否は一旦脇に置いて、ネット選挙が実際の政治において、実現しうるか、あるいは実現するとしたらどういう状況で実現するか、ということを考察したい。この考察はかなりドライなものではあるが、しかし実際にネット選挙を解禁させようとする運動が、その戦略を考える上で意味のあるものでもあるだろう。

私が参考にしたいと思うのは、戦後日本において選挙制度が大きく変革されたほぼ唯一の事例である、94年の衆議院選挙への小選挙区比例代表並立制導入とその経緯の歴史である。この経緯の歴史について学んでおくことは、ネット選挙導入という次の選挙制度変革に対して重要な示唆を与えてくれると考える。
まず時代背景として押さえておくべきは、竹下内閣失脚の原因ともなったリクルート事件に代表される、「政治とカネ」の問題の噴出である。国民からのこうした批判を受けて、「金のかかる選挙制度」とされていた中選挙区制を廃止しようという動きが強くなる。
そして、こうした現状の政治の問題点を解決する「政治改革」というフレーズが当時非常に多く用いられることとなる。各党の本心はともかく、「改革」という言葉、新しいことをしているのだというポーズは各党とも欲していたため、どの党も政治改革をひとまずは擁護していく、という流れが出来ていく。与党の海部首相も、自身のクリーンなイメージや党内若手の不満等を推進力にして、政治改革に政治生命をかけるとまで言うほどの熱心さを見せるが、党内の中堅以上の議員が反対し、結局海部首相は孤立し首相の座を退くこととなる。
その直後の宮澤内閣のときに起きたのが、東京佐川事件である。政治資金規正法違反によって大物であった金丸信が逮捕され、再びの「政治とカネ」批判が勃発する。おりしも新党ブームが起きており、皆がこぞって「政治改革」をスローガンに掲げ、メディアも「政治改革こそが正義」という論調になっていく。こうした形での「政治改革熱」によって、少なくとも建前上はほとんどの議員が「政治改革推進」の側に回っていく。
そして宮澤内閣不信任案可決、総選挙後の細川内閣成立へとつながっていく。しかし細川内閣は小政党の大連立による内閣であり、分裂の危険も大きかった。そこで細川が選んだのが「政治改革に取り組む」という以前から言われていたスローガンを共通の目標とすることで党内をまとめ上げるという戦略であった。紆余曲折を経たのちに、選挙制度改革の法案が成立し、選挙制度の変革が実現したのである(ただし、法案成立後は連立の共通目標が失われ、直後に細川内閣は崩壊することとなったのだが)。

さて、こうした歴史を見た上で、現状においてネット選挙法案が実際に国会で成立する可能性はどのように考えるべきであろうか。
まず背景的な国民の認識である。当時の「政治とカネ」批判と比べると、政治不信は現在でも強いものの、選挙制度に直結した形での不満の噴出はそこまで見出せない。また、当時の「自民党政治のマンネリ化への不満」「利権政治」といった選挙制度への不満の状況と対比すると、現在存在するのは「ポピュリズム」への不満であり、国民が政治へ介入しやすくすることには一定の批判的な見方こそがむしろあるといえる。そう考えると、背景的な状況はかなりネガティブなものだといえよう。
次に「政治改革」というスローガンに変わる存在について考えてみよう。「改革」というフレーズは05年の小泉の郵政選挙や、政権交代が叫ばれた09年の総選挙等、「変革」はとにかくよく叫ばれている。しかし政権交代しても政治はあまり良くならないという認識は、むしろそうした「改革」スローガンへの期待を削いでいる状況にある。
ネガティブな点ばかりが続いたが、90年代の状況に近い点としては新党が多く、小党同士の共通項を欠いている状況を挙げることができる。細川内閣の紐帯として選挙制度改革が機能したように、ネット選挙解禁がある種の共通目標の一つとして組みこまれる可能性はある。

現状は他の人が言うほどにはポジティブではないと思う。国会議員の多くは「無関心」と「何となく賛成」で構成されていると思うが、これは共有地の悲劇と同じ構造で、誰も自ら犠牲を払って積極的に進めようとはしない。強い反対派が居座っている状況よりもある意味では悪いかもしれない。また皆が何となく賛成している状況は、別段争点化しているわけではないので、「努力してもどこかの票が自分に入るわけではない(稼ぎにならない)」ためにどうしても後回しになる。
90年代の政治改革の空気は、こうした「なあなあ」ではいられない状況を作り上げた。国民の「政治とカネ」への批判と「政治改革」の持ったマジックワードの機能が、その動きを推進していた。今日のネット選挙をめぐる状況において、これらの要素に変わるものは生まれるであろうか。ここが一番大きな山場であり、ここが変われば可能性は一気に広がるであろう。

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