« 麻生ナチス発言はどう解釈すべきか | トップページ | なぜ研究者は小保方さんに厳しいのか »

差別論の構造~人工知能学会誌の表紙問題

 人工知能学会誌の表紙が女性差別だとして批判を浴び、一方でそのような批判は過剰反応だという再批判も起きている。

 人工知能学会の表紙は女性蔑視?

 コメント欄やその後のtwitter等での展開を見ても、ともに感情的に相手を罵るだけの発現が多く、あまり建設的とはいえない状況であった。しかし、ついにやっと堅実な形での表紙への批判記事が現れた。

 人工知能学会関係者の皆様へ 

 これはきちんと議論するに値する問題提起だと思われるので、これに対して若干のコメントをしておこう。

 まず、ジェンダー論の前提として、この記事では以下のように述べる。

ジェンダー論の主張はごくごく単純にいえば、『「男は仕事、女は家庭」という考え方を変えたい』ということに集約されます。

男は仕事にまい進して、女は家庭を守って何が悪いのでしょうか?それは、この考え方が女性の社会的地位を低いままにしている原因であると考えられるからです。
例えば、女性の平均年収および生涯賃金が男性のものよりも低いこと、女性管理職の割合が男性より低いこと、社会的威信の高い職業において女性の割合が低いことなどに、女性の社会的地位の低さが表れているといえます。参考までにデータ付きの解説を。

「男女間賃金格差問題の基本のき」

逆に、家庭を維持するにあたって必要な家事やケア(子育てや介護のこと)など、賃金が発生する仕事とは認められてこなかった労働への寄与を期待されるのは、圧倒的に女性の方です。女性の労働力、あるいは働き手としての女性の価値が労働市場において低く算定されてしまうことと、女性が家庭を維持するのに必要不可欠な労働力としてみなされていることは表裏一体であるとジェンダー論者は考えます。

この前提を踏まえたうえで、今回の表紙の問題について

では、今回の『人工知能』の表紙はなぜ批判されたのでしょうか?一番の原因は「女性と家事労働を結び付けて表現してしまったこと」でしょう。

と述べる。これに関連させて、この記事では、ブッシュをチンパンジーになぞらえる風刺が批判されなかったのに、オバマをチンパンジーになぞらえる風刺は批判を浴びたことを取り上げる。

記号的表現の組み合わせ、ということに関して思い出されるのは、ブッシュ大統領とオバマ大統領をそれぞれチンパンジーや猿になぞらえた風刺の存在です。

(中略)

ブッシュ大統領のそれは風刺として成功をおさめ、逆にオバマ大統領のそれは痛烈な批判を浴びました。表現として白人を描くこと、黒人を描くこと、類人猿を描くことそれぞれは全く問題になりません。白人と類人猿を結び付けて描くことも問題にはなりませんでした。ただ、黒人と類人猿という表現の組み合わせは、人種差別であると判断されました。
この判断は、かつて黒人が人間でないもの(類人猿にも似た動物的なもの)として扱われてきたという事実を踏まえたものです。

 記事後半には、表紙が批判されたもう一つの理由についても述べられているが、それは別の機会に議論することにして、ひとまずここまでの議論についてコメントしておこう。
 まずこの記事では、ジェンダー論の主張を『「男は仕事、女は家庭」という考え方を変えたい』としている。これは半分は正しいが、別の問題が紛れ込むことにより、本当は別のところにある本質が落ちてしまっているように思う。
 その「紛れ込んだ別の問題」というのは、「家庭労働に対する取り扱いの経済的不平等性」という点である。この記事ではこれについて丁寧に書かれているし、これが解決されねばならない問題であるのは言うまでもない。しかし、「通常労働/家庭労働」の不平等というのは、例えば「自営業/会社員」の間の税制の不平等(有名な10・5・3というもの)や、「高齢者/若者」の間の所得分配の不平等(福祉にばかり税が使われて、若者に負担が押し付けられる)と、深刻度は異なるかもしれないが構造的には同一の問題である。そして、これらの不平等性それ自体は、「会社員は劣っている」「若者は劣っている」という帰結を生みださないので、家庭労働は「損をさせられている」のは事実だが「劣っている」ことを含意していない。取られるべき改善策も「家庭労働の地位に適切な評価を与えること」であり、「女性に家庭労働をさせないようにすること」ではない。
 では、ジェンダー的な観点での本当の問題はどこかというと、それは「選択肢の制限」である。もともと働きたいと思っている女性が「いや女は家庭で家事をするものでしょ」という圧力によって、働くという選択肢を制限されてしまうこと、これはジェンダーによる不当な役割分担により当人の自由を阻害しており、問題であると言える。なお、当然これの裏返しとして、家事をする男性に対して「男がそんなことをするとはだらしない」と圧力をかけることも同様に自由の阻害になっている。

 この点を明らかにすれば、ブッシュとオバマのチンパンジーの議論との類比は、微妙にずれていることが分かる。チンパンジーは「劣ったもの」としてのラベルであり、人間をチンパンジーになぞらえることは純粋に揶揄ないし侮蔑である。そして、ブッシュもオバマも、あるいはいかなる白人も黒人も、本当にチンパンジーである状況は存在しえない。なので、「チンパンジーによる風刺」は、明確に対象を貶める意図を持って描かれているといえる。ブッシュへの風刺の場合、「ブッシュの知能が低いこと」の風刺としてチンパンジーが持ちだされている。ところが、オバマへの風刺の場合、そもそもアメリカでは「黒人を大統領に据えるなど屈辱である」という差別的な批判も存在していたため、オバマをチンパンジーになぞらえることは「オバマの政策能力はチンパンジー並に低い」という通常の揶揄のほかに、「オバマという黒人を大統領に据えることは、チンパンジーを大統領に据えるのに等しい屈辱だ」という差別的批判もありえた。そのため、後者と解釈した人々が風刺漫画への抗議を行ったのだと考えられる。しかしこの場合、もし風刺画が後者の意図で書かれていたならば謝罪してしかるべきだが、前者の意図であるならば抗議した人々の方が妥当性を欠いていたといえる。
 しかし、「女=家庭」の場合はこれとは状況が異なる。第一に家庭労働それ自体は劣ったものではなく、また「チンパンジーであるブッシュ」が実際には存在しないのと対照的に「掃除する女性」は実際に存在する。ただしこれは固定観念に沿っているものであるので、これは「ハト=白い」や「アフリカ=大自然」のような固定観念の再生産と見るべきである。類比を行うならば、ブッシュやオバマの風刺画よりも、観光案内書の表紙の方がより近いであろう。「ヨーロッパ=歴史的建造物/アフリカ=大自然」という固定観念は存在し、それを再生産するような観光案内書の表紙も多い。もちろん実際にはヨーロッパにも自然はあるし、アフリカにも歴史的建造物もあれば大都市もある。しかし、こうした観光案内所が差別であるとして抗議されたという話は聞かない。そのため、固定観念の再生産それ自体が問題なのではない。では何が問題なのかというと、このジェンダー的構図の問題は「選択肢の制限を行っていること」にある。なので、この学会誌の表紙が問題か否かは、「この表紙が、女性の選択肢の制限の機能を持つか」という点にかかっている。

 ここでやっと我々は、多くの差別および差別論の背景にある「個別事象と全体の傾向の混同の誤謬」を考えることが出来る。例えば、平均で見れば女性は男性よりも足が遅いが、それは個別の女性について「この人は足が遅い」と判断してよいことを意味しない。逆に、知り合いの女性がたまたま足が速かったからといって「女性は足が速いに違いない」と考えるのもまた誤っている。これらの誤謬で見落とされているのは「集団内の個人の多様性」である。個人を見ずに、その人の属性と、その平均的傾向だけを見てしまう、これがこの誤謬の背景にある。これを踏まえれば「掃除する女性」の絵を見て「やはり女性は掃除をするべきものだ」「掃除をしている人は女性に違いない」などと考えることこそが誤謬なのである。我々が批判するべきは「個別事象と全体の傾向の混同の誤謬」であって、掃除する女性の絵そのものではない。もちろん世間にはそういう誤謬を犯す人が多い、というのは事実かもしれないが、であるとすれば反差別運動がすべきは、そのような誤謬を犯す人々をその誤謬から治療させることであろう。根幹の原因を退治せずに「女性は家事をすべきだ」を「女性は家事などすべきでない」に置き換えても、「選択肢の制限」という根本の問題は何も改善しない。

 【追記】
 この記事の後半では、「社会への悪影響がありうる」として、

意図したことではないとはいえ、もし今回の表紙がめぐりめぐって、家庭と仕事を両立させようと努力している一人の優秀な研究者を傷つけ、研究者としての道を閉ざしてしまうことになったとしたら?
人工知能に興味を持つ女子学生に間違った印象を与えてしまい、彼女が人工知能研究を自らの進路として選択することを阻害してしまうとしたら?

という可能性を挙げている。しかし、現在の10~20代においては、(一部の権利意識が高い人々を除けば)あの絵を見て思い浮かべるのは「女=掃除」の部分ではなく「メイド」「二次元」「オタク」・・・の系統の事柄であろう。もちろんそれへの好き嫌いはあるが、初音ミクの支持層の半分近くが女性だったりもする(「「初音ミク×Tカード」11月30日で発行終了 男女比55:45、女性最多は13歳」)ので、表紙の絵の女性へのリーチが悪いかどうかはこれだけでは判定しがたいという方が正しい姿勢だろう。

|

« 麻生ナチス発言はどう解釈すべきか | トップページ | なぜ研究者は小保方さんに厳しいのか »

時事評論」カテゴリの記事

ウェブ」カテゴリの記事

宗教」カテゴリの記事

コメント

素人ですが。論旨には賛同しますが、綺麗すぎて疑問が残るところがありました。
レッテル貼りから漏れてしまう例外を抑圧無視することを批判しながら、絵から女性が受ける印象が特定のものだと「一部の権利意識の高い」例外として切り捨てるのはどうかと。
だから留保しているじゃないかと言われそうですが「これだけでは判定しづらい」というのは「もし~としたら?」を逆側から言っているに過ぎない逃げと思います。
ここは「いろいろあるんだから分からん」と言って捨て置いていい部分でしょうか?

それというのも、「女性がどう抑圧を感じるか、感じないか」が発端であるこの問題を、それ以外の論拠で論じているからではないかと。「女性がどう思うか」は多様で曖昧なので論拠にしにくい。一方別のところから論拠を引っ張ってきて説得的に書いても、問題の出発点は「女性がどう思うか」であるという正しい無意識が、つい【追記】のようなものを書かせてしまう。
この論は、「クソ客観的なクソ裁定者」になってしまっている部分があるのではないでしょうか。ジェンダー論の場合、きれいに説得的なことを言うのが必ずしも解決にならないと思います。論拠にしにくいことが、重要でないこととは、今回は一致しないと思いました。

投稿: | 2013年12月31日 (火) 00時50分

コメントありがとうございます。

まず「当人がどう思うか。不快に思うか」は、それ単独では差別の論拠を構成しないと考えます。なぜなら、そういう論拠を認めるならば、逆に「女性の上司の下で働くとは不快だ」という男性の感情もまた勘案しなければならなくなってしまうからです。このような感覚を持つ人は、特に女性差別撤廃運動の黎明期には多かったでしょう。なので、「多数が不快に感じるか」ではなく「不快に感じることそれ自体が、妥当性を保有していると言えるか」という観点からでないと、差別の論拠にはならないといえます。そして、これについては本文で論じた通りで、「個別事象と全体の傾向の混同の誤謬」になっているというのが結論です。


ではなぜ追記を書いたのかというと、「表紙が女性蔑視か」とは別に「表紙を出した学会が、男性のターゲットのみを想定し、女性の存在をそもそも忘れている」という批判もありうるからです(言及しているブログ記事も、そのような観点からの批判でしょう。)。もしこれが真ならば、それはそれで問題でしょうから、この批判の妥当性もまた検討しておく必要があります。
そして、twitter等で反応を見ていると、普段からジェンダーに関心のある人は、女性と家事労働の観点から意見を述べているのに対し、普段そのような話題に接していない人は、「なぜこれが炎上してるのかそもそもよく分からない」「萌え系の絵はダメなのかな」という感想を抱いていました。つまり「あの絵を見たら、女性=家事労働、という結びつきを感じて、人工知能学会を忌避してしまう」という推測は必ずしも正しくないということです。もちろん、私の周りの人間だけで判断しており、サンプルバイアスの可能性は大いにありますので、留保をつけてあります。
もう一つ考えられる「萌え画を使うこと自体が、男性のみをターゲットしていることになる」という批判を考慮して、初音ミクの支持層のデータを出し、「萌え画=男性対象」という枠組が正しくないことを示しました。
以上より、「表紙を出した学会が、男性のターゲットのみを想定し、女性の存在をそもそも忘れている」とは言えない、というのが私の結論です。

投稿: admin | 2013年12月31日 (火) 11時59分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 差別論の構造~人工知能学会誌の表紙問題:

« 麻生ナチス発言はどう解釈すべきか | トップページ | なぜ研究者は小保方さんに厳しいのか »