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なぜ研究者は小保方さんに厳しいのか

STAP論文の件について、twitter等ではさまざまな意見が流れています。しかし、それらを見ていると、どうも研究者と一般人の間とでずいぶんと考え方の相違が現れることが多いようです。このような違いが生まれてしまう理由には、研究者はほとんどの人が知っている(がゆえにわざわざ語られないことが多い)が、一般人は意外と知らない「常識」がいろいろとあり、そのために考え方が大きくずれてしまっているという面があるように思います。そこで、ここでは一般人が素朴に抱きそうな疑問に答える形で、そうした「常識」を整理しておきたいと思います。

■確かにSTAP論文は捏造かもしれないが、万が一正しかったら世紀の大発見を見逃すことになるのだから、小保方さんにも参加してもらって大々的な検証をするべきでは?
こうした考え方は一見自然ですが、しかしこの考え方は「万が一正しかったら世紀の大発見と言えるようなトンデモな主張」というのは、ネットでも本でも山のように落ちているという事実を見逃しています。例えば「永久機関が出来た!」とか「アインシュタインの相対性理論は間違っていた!」とかの類の話は、ちょっと検索をかけただけでもすぐに見つけることができます。永久機関が出来たとなれば紛れもなく世紀の大発見ですし、アインシュタインの相対性理論がもし間違っていたとすれば物理学が大幅に書き換えられることは必至で、これもまた物理における世紀の大発見になります。しかし、真っ当な研究者はこういった話はいちいち取り合いません。「万が一正しかったら」という程度の話では、研究者は相手をしているほど時間もお金も余裕がないのです。
もし科学の世界の問題がSTAP細胞以外になにも存在しないのならば、STAP細胞をみんなで一生懸命調べてもいいのかもしれません。ですが実際には科学の世界では毎日たくさんの「新しい理論」や「初めて見つかった現象」が報告されているのです。それらの中には、実験設備の問題で「見つけた!」と思ったのとは別の(あまり面白くない)原因で起きているだけというもの、データは正しいけど発見者が思っていたよりも非常に特殊な場合にしかうまくいかないもの、そして真に科学の発展に寄与するような素晴らしい発見であるものもときにはあります。そして、毎日報告される新しい現象を、研究者は精査したうえで選んで改めて実験したり発展させたりしているのです。しかし、研究者はそれほど人数もいなければ時間や予算も制約されているので、報告されているものすべてを調べることなど到底できず、大半の報告は他の人の検証にあずかることは出来ず、そして忘れられてしまうものも多いわけです。当然ですが、これらの報告は捏造などでは全くありません。しかしそれでも検証しきれないものが大半な中で、捏造でありデータが全く信用できないことが分かっている話を、他の大量の報告を押しのけて優先的に人的リソースと予算を割いて検証すべき、というのは到底理解できないわけです。

■研究者は「変わった意見」を叩くのではなくもっと寛容になるべきでは?それこそが科学のあるべき姿勢では?
これは今回の事例に限らずニセ科学批判などに対し、科学哲学などを多少かじった人からしばしば見られる意見ですが、実は事態はむしろ逆なのです。一つ前でも見たように、科学の世界では日々新しい現象が報告されており、その中には「既存の科学の常識に反する報告」も多数含まれています。研究者はこのような「常識に反する報告」についてきちんと検証していきたいと考えています。しかし、これもまた前に見たように、研究者の費やせる時間も資金も限られているので、実際にきちんとした検証にかけられるものはそのうちの一部で、残りの報告は大した検証や議論もされずに忘れられてしまったりするのです。当然ですがこれらの報告は、より精度のよい実験で否定されたり間違っていると分かったりするものもありますが、捏造などではなくきちんとした実験によってなされた報告です。
なので、少しでも多くの「常識に反する報告」の検証をするために、研究者は次のように考えています。

●まともな手続によって、きちんとした再現性の確保されているものだけを相手にする
●一度否定された主張は、相当の「新しい証拠」が追加されない限り再びの検証はしない

一つ目のは、「ただの思い付き」とか「適当な実験でなんか変なのが出た」というレベルのものから相手にしていては、検証すべき報告の数が今の比でないぐらいに増えすぎてしまい、しかもこれらはまともな証拠を備えておらず信頼に値しないわけですから、そういうノイズはあらかじめ外しておいて、それによって信頼に値する「常識に反する報告」を検証しようという考えです。二つ目のは、同じ報告の検証を延々繰り返されたら、新しい報告の検証に移れないのでこれは当然です。しかし、血液型性格診断とか、放射線で鼻血とか、とっくに否定されている「説」が蒸し返され、それを研究者が批判すると「科学の精神に沿わないのでは」のような反批判が行われるというのはしばしば見かけます。
研究者は「常識に反する報告」をきちんと検証したいと思っています。しかし、研究者の費やせる時間も資金も非常に限られているので、出来るだけ多くの報告の検証ができるように、ろくに証拠がないような説や、すでに否定されているような説は除外しているのです。

■STAP論文が仮に完全な捏造だったとしても、STAP細胞のアイデアを提起したという卓抜した能力は評価されていいのでは?
STAP論文は「刺激による動物細胞の脱分化」を実験で示したと主張した論文です。細胞は、最初は皮膚の細胞にも神経の細胞にもなれるのですが、あるタイミングから先では、いったん皮膚の細胞になってしまうともう皮膚の細胞になることしかできず、神経の細胞にはなれないようになります。これが「分化」です。「脱分化」というのは、一旦「皮膚にしかなれない細胞」になってしまったものを、再び「皮膚にも神経にもなれる細胞」に戻してあげることをいいます。
さて、この脱分化ですが、まず植物の細胞ではごく普通に刺激によって脱分化が起きることが知られています。身近な例では「挿し木」「接ぎ木」(コメントでのご指摘を受けて修正)などは脱分化の一例で、枝を切って(刺激)くっつけておくことで、切り口の細胞は脱分化したうえで別のものになり、枝がつながるのです。動物の細胞でも、例えばイモリは腕を切ったり目玉をくりぬいたりしても、切られた部分の周りの細胞が脱分化して、腕や目玉が再生することが知られています。普通の動物の細胞は単純にしていては脱分化は起きないのですが、「何らかの刺激の与え方で動物の細胞も脱分化できるのではないか」ということはわりと多くの人が思っているところであり、実際そういうことを示唆させる理論の論文も出ています(C. Furusawa and K. Kaneko, J. Theor. Bio. 209. 395 (2001) http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022519301922647)。

なので、「動物細胞で刺激による脱分化が出来るのでは」という提案そのものはずっと昔からあって、STAP論文で重要だったのは「実際に」動物細胞を刺激で脱分化させたという点です。しかし、それが捏造だったのですから、その価値はなくなってしまったわけです。

■「捏造かどうか」よりも「STAP細胞があるかどうか」の方が重要なのでは?
これはひとつ前で述べたことでほとんど答えになっています。「動物細胞における刺激による脱分化」があってもよいのではという話自体はずっと昔からあったわけですから、今後「動物細胞における刺激による脱分化」がきちんと見つかり確かめられたとしても、それは問題の論文における捏造行為に対する評価とは何の関係もありません。
同じタイプの見方として「結果があっていれば、つまり実際にSTAP細胞があれば、細かいところはどうだっていいじゃないか」というものもしばしば見かけましたが、これも(他の理由もありますが)同様の理由で間違っています。「動物細胞における刺激による脱分化」というアイデアそのものは昔からあって、それを実証したところが偉かったのですから、実際に作れていないのならば話にならないわけです。

■たとえ博士論文で剽窃があったとしても、博士号を取り上げるのはかわいそうなのでは?
これは例を出した方が分かりやすいと思うので例を出します。

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Aさんは、医学部ではないですが医師になりたいなと思っていました。ある日、「1年間の講習であなたも医師になれる」という「医師教室」の宣伝を見つけ、これを信じて多額の授業料を払って時間を費やし、1年後にAさんは医師免許をもらいました。
ところが、その「医師教室」は全くの詐欺会社だったのです。講習は医師に必要な技能とは全然関係ないことしか教えてなく、発行された医師免許は、医師免許の発行機関の内部の人間に裏金を渡して不正に発行させていたものでした。Aさんは、折角お金と時間を費やしたのにこんなことになってしまい、途方に暮れてしまいました。
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この話で、確かにAさんは詐欺会社に騙された被害者で、お金も時間も無駄にしてしまい非常にかわいそうです。ですが、医師の技能を全く持たないAさんを、医師として認めて手術を受けたいと思う人は恐らくいないでしょう。Aさんは詐欺会社から損害賠償は当然受け取ってしかるべきですが、「Aさんが可哀想であること」から「Aさんを医師として認めるべき」とはなりません。
博士号もこれと同じです。すでに明らかになっているように、早稲田は本来行うべき院生の指導を全く行っておらず、そのために小保方さんは剽窃を平然と行い、それは見逃されました。小保方さんは「早稲田が誤った指導を行った結果、剽窃や捏造がしてはいけないことなのだと教えてもらえず、それが特に問題ないことだと誤認してしまい、結果としてとんでもない問題を引き起こしてしまい、多大な被害をこうむった」として、早稲田を訴えることは可能かもしれません。しかし、この事実は小保方さんに研究能力を認定する資格=博士号を与えるべきということを全く意味しません。

(2014/7/28追記:いくつかのコメントで、医師免許と博士号は完全にパラレルでないのではないかという指摘を受けました。しかし当然ですが、例え話というのは「今議論したい点について同一である」事例を取り上げるものであって、今議論したい点以外の部分について相違があることは特に問題ではありません。今回論じたかったのは「資格授与プロセスに本人の落ち度以外の問題があったために、本来資格を得られないのに資格を得てしまい」「しかし資格を取り上げるとその本人に被害が生じる状況で」どうすべきかという問題なので、パラレル性は失われていないし、その際の結論は「落ち度のあった者がその人に損害賠償をすべきであって、資格を与えるという結論は出ない」というものです。詐欺教室があまりに作り話くさいと思う人は、「Aさんは医学部だったが不勉強で医学の知識も技能もない状況で、その際に大学の先生が『ちょっとお金がかかるけど、特別講習を受ければ医師免許が得られるよ』と言い、それを信じたAさんはその特別講習を受けて医師免許をもらいました。しかし実はその先生は医師免許の発行機関の内部の人間に裏金を渡して・・・」で、あとは同じ話としていただいても結構です。)

■たかがたった一人の博士号の問題で、研究者がいちいち目くじらを立てることはないのでは?
このような「細かいことでは騒がない」という、一見「大人」な考え方もしばしば見かけます。しかし、他のさまざまな業界と同じく、研究者の世界もまた信頼で成り立っているものです。たった一件の飛行機の墜落事故で飛行機に恐怖の印象がつき飛行機利用者がガクッと減ることを考えてみれば、信頼がいかに容易に損なわれることかということは分かると思います。もちろんその感情は不合理かもしれませんが、しかしたった一件の不祥事にもきちんとした対処をして、疑念は払拭しなければならないのです。
「ちゃんと実力があるのなら、博士号などに頼る必要がない」と思う人もいるかもしれません。しかし、ある人が不正など全くせず、本当に実力があったとしても、重要な点は「相手(その人を評価しようとしている海外の研究者や研究機関)はそのことを知りようもなければ確かめようもない」ということです。その人の書いた論文は一つの指標になりますが、捏造だったら話になりません。その人の素性調査などいちいちするはずもないので、評価をする相手に「この人は大丈夫ですよ」ということを簡便に証明してあげるのが資格の役割であり、その一つが博士号です。ところが、もし日本においてはその博士号が捏造や剽窃といった研究者の最低限のルールさえ守れない人でもとれてしまうのだとしたら、海外の人は「確かにこの日本人は博士号を持っているけど、果たして信用してよいものか」と考える可能性は十分にあります。自分の研究室で捏造や剽窃を行われたら取り返しのつかない事態になりますので、「非常に優秀な日本の研究者」と「そこそこ優秀な他の国の研究者」のどちらかを採用するか決めなければいけない場合、万一のリスクを回避して後者を採用することも十分ありうる事態でしょう。
だからこそ、そのような事態を避けるためにも、博士号や研究者養成機関としての日本の大学の信頼は維持していかなければならないし、それを損なうような事態が起きたとすれば、たかが一件の事例であってもきちんとした処置が必要なのです。

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コメント

一点だけ。本文中の「挿し木」は「接ぎ木」ではないかと思います。挿し木はクローンの原義のアレです。が脱分化の話なら確かに挿し木の方がよい(根が生えてくる)気はします。

投稿: | 2014年7月27日 (日) 13時54分

仰せの内容、非常に共感できます。
ただ、重箱の隅ですが「挿し木」の説明は、「接ぎ木」の間違いではないでしょうか…。
せっかく一般の人(研究者以外の人)に分かりやすく説明するために出された例で、却って混乱を招く可能性があろうかと。

コメントは認証制とのこと、公開せずに本文訂正だけしてくださってもかまいません。連絡も不要でございます。お邪魔いたしました。

投稿: | 2014年7月27日 (日) 20時12分

分かってない人達に、分かりやすく伝える内容になっていると思います。これが広く読まれることを期待します。

投稿: | 2014年7月27日 (日) 21時58分

何処が異端的何だか。 極く一般的な、敢えて云え庸凡庸な見解なのですけどね。 EM菌やナノ水銀に誑かされる間抜け真光大臣やらラドン吸引する阿呆原理坊ちゃま君が闊歩する御時世だから、訓蒙作業として必要なのかな?

投稿: kinkaboshiteishujin | 2014年7月27日 (日) 23時05分

「結論が当たっているか、外れているか」だけを論じれば、占いと変わらない。
きちんと、第三者が再現可能な説明がなされているかどうかが、科学として重要だ。
詐欺的な手法が使われた時点で、結論の是非以前に、科学論文としては終わっている。
つまり、帰納法から成り立っている科学からは、結論が正しいかどうかは厳密には、常に断言できない。
しかし、手法として、論文に虚偽が使われた時点で、科学論文として検討する価値さえ失われた。

投稿: | 2014年7月28日 (月) 06時30分

某有名三流私大の理工系で教授をしている者です.大変わかりやすい説明に感服しました.ありがとうございます.

ただ一点,学位を医師の国家資格に例えておられる部分に,誤解を生む可能性があると思いました.医師の資格は国で定めた一定の能力を保証するものですが,学位のレベルは大学によって異なり,一定ではないということです.価値の低い研究に安易に学位を与える三流大学は,これまでもありました.

私は,早稲田は学位を取り消すべきでないと考えます.本文にも述べられておりますように,学位は大学の価値を表すものです.だからこそ,いったん授与した学位を大学側が自らの価値を保つために後から取り消して済むものではないのです.今回の論文が無価値なら,今後,早稲田の学位は無価値とみなされることになるかもしれません.それが正しいと思います.学位審査にはそれだけの責任が伴うということであり,早稲田はそれを怠ってきたということです.

もし早稲田が学位を取り消すというのなら,早稲田は小保方さんの指導を怠った罪を認め,小保方さんに対し授業料の返還はもちろん,損害賠償も支払うべきでしょう.小保方さんは早稲田に授業料を払っていた側の大学院生であったことを忘れてはなりません.給与をもらっていた理研における立場とは全く異なります.

本文では,早稲田の学位だけでなく日本全体の学位の価値が落ちることになると危惧しておられます.今回の件から直接的にそういう結論に至るかどうかわかりませんが,間接的にいろいろな局面で影響が出てくることはあり得るかもしれませんね.でも,もしそれが真実に即した正しい評価ならば,日本国民としてその状況を甘んじて受け入れるべきであると思います.発覚した後になってから学位を取り消して済むという考えは間違っています.

国としてゼロからスタートすれば,将来「早稲田の学位」「日本の大学の学位」などに頼らず,内容で勝負できる若い研究者が,必ず現れます.

投稿: | 2014年7月28日 (月) 08時29分

発表した論文に間違いがあったなんて話は
枚挙にいとまがないわけで、本質は、
ある「大発見」を発表したのが、たまたま、

女性だった。
若かった。
目立ちたがり屋だった。
早稲田(私大)出身だった。

これがガソリンになって必要以上の騒ぎになった、
ただそれだけのことじゃないでしょうか?
嫉妬がエネルギーとしてこれほど強いものだとは
思いませんでした。

投稿: | 2014年7月28日 (月) 09時12分

真摯な考察をありがとうございます。研究者の一人として大賛成です。広く読まれるべきだと思い、Facebookでシェアさせていただきます。ただ、人手がない、暇がない、金がないから検証実験ができないのだということが強調されすぎていて、誤解を招きやすいかも。本来検証実験をする価値のない研究であるという部分がしっかり理解してもらえるような書き方がいいのではないかと思います。この書き方だと、ならば国は研究者に人手と時間と金を与えてSTAP細胞の無限の可能性を検証できるようにしろという議論が起こりかねません。

投稿: fukuichi | 2014年7月28日 (月) 09時38分

投稿: | 2014年7月28日 (月) 06時30分に違和感

博士号というものは独立して研究できることが前提だと思っていました。教授の助けがなければ捏造してはいけないということも分からない人は論外です。
その三流大学での博士号ってきっとそういうレベルなんでしょうね。

投稿: | 2014年7月28日 (月) 12時39分

若い女への嫉妬とコメントしている人がいますが、今回の小保方事件は嫉妬なんてないと思います。真実を追求する、本物の科学者が、デタラメな小保方に厳しいのは、当たり前のこと。あんなアホに嫉妬なんてしません。

投稿: | 2014年7月28日 (月) 15時04分

論文は真偽以外に意味はない*小保方の論文は偽で有り*議論の余地はない*思惑は人の常

投稿: 坂上輝也 | 2014年7月30日 (水) 16時56分

Wow, marvelous blog structure! How long have you been running a blog dadgkedkadbd

投稿: Johnc132 | 2014年8月 1日 (金) 01時48分

私は、小保方氏の博士号については、早稲田大学が意図的に、剥奪をしないと言う結論ありきで調査をしたように思える。一方で、早稲田大学は

2013/10/21付で
http://www.waseda.jp/jp/news13/131021_degree.html

なる告知を出しており、不正な方法で学位を得た学生の学位を取り消している。

引用すると、

> 博士学位授与論文において、少なくとも64カ
>所にわたり不適切な引用がなされており、そのう
>ち12カ所においては晏氏自身の見解であると
>して論述されている部分について、他者が作
>成した文献から無断で盗用している。
>早稲田大学学位規則第23条(※)に規定されて
>いる「不正の方法により学位の授与を受けた
>事実」にあたると認定。

となっているのであるが、早稲田大学の処置として、一方は盗用で剥奪をして、小保方氏についてはNIHからの大規模盗用について不問に付すのであれば、公正性が担保されないと思う。

この場合、かつての記録と比較すると、国籍差別をしたと疑われる可能性がある。

また、今回の件を認めた場合、早稲田大学は、これから、博士論文についての盗用は認めるという事になる。なぜなら、小保方氏から学位は剥奪しないと決定するなら、これは前例となるため、これからの学位授与者にも適用されなれければならないからだ。

また、2013年に学位をはく奪された人についても、再度審査が必要になる。

投稿: 職業的科学者 | 2014年8月 4日 (月) 21時39分

例えば「日本の早稲田大学理工学研究科が小保方さんの学位を取り消さなかった件」

これを聞いた時、自分が社会でどのようなポジションにいるかによって見方が変わってしまいます。(小保方さんの論文がどのようなものだったか理解した上での例です)

日本の研究者ではない方々
「日本の大学はコピペで学位取れるんだ」

日本の大学関係者
「早稲田大学はコピペで学位取れるんだ」

早稲田大学関係者(理工学研究科ではない)
「うちの理工学研究科はコピペで学位取れるんだ」

つまり(当たり前ですが)大多数はその括りの中に入らないので、自分を含めないもっとも大きな括りで物事を括ります。海外の人ともなれば多分「日本はコピペで学位取れるんだ」なものでしょう。
研究者かどうかでもひとつの括りがあるかもしれません。
散々「小保方さんは可哀想だ!」とか言っといて、例えば国費に占める研究関連費を決める時に「不正論文事件もあったし、削減するべき」とか言われて、来年度は苦しい思いをするんじゃないかと心配してます。所詮小保方さんが可哀想なのであって研究者は可哀想じゃないものね、って感じです。

ああいうのを可哀想だとか大学の面子とか関係なく厳格に処分することで、大多数の研究者は救われるんですが(学位の価値、研究費の適切な運用の証明、日本の研究姿勢等を示すことができる)一般人と研究機関の偉い人達は、発想は違えど結論は一緒なので厄介だとまだまだ偉くない多くの日本人研究者は思ってますよ。

投稿: そこいらの研究者 | 2014年9月 5日 (金) 15時20分

>「万が一正しかったら」という程度の話では、研究者は相手をしているほど時間もお金も余裕がないのです。

まず、ここからウソなので後の文章を読む気が失せた。
全ての研究員が仮定をウソだと捉えるなら青色LEDなんて誰も立証できなかった。
我が国から登場した中村教授の有名な話があるのになぜしょっぱなからウソを書くのか理解不能。

投稿: | 2014年11月25日 (火) 14時44分

理路整然とした立派な説明で、感服いたしました。

投稿: せみまる | 2014年11月27日 (木) 15時59分

批判を嫉妬ではないと言う御仁が居るが、小保方氏批判の先鋒者は女性であること。そして、粘着的に執拗に小保方氏一人を叩いていることから見て、その裏に世間の注目を若くして一身に浴びた一人の女性研究者に対する嫉妬心が全く皆無であるとは言えないだろうと推察する。
論文共著者は数名おり、その中のW氏にも論文不備があったのにもかかわらずである。
風向きが一斉に小保方氏バッシングに向かったのは、理化学研究所と言うお堅いイメージの職業婦人を華やかにクローズアップさせて煽りすぎたメディアの罪であろう。

投稿: 鈴木 | 2014年12月24日 (水) 09時38分

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