グルーのパラドックスとは、以下のようなものである。
今まで観察されたすべてのエメラルドは緑であったとする。そうすると、帰納的推測により、2009年に観察されるエメラルドも緑色だろうと確証することができる。
ここで、「2008年までに観察されれば緑色を指し、2009年以降ならば青色を指す単語」として「グルー」という語を導入すると、これまで観察されたエメラルドは緑色であると同時にグルーでもあることになる。つまり、エメラルドが緑であることとグルーであることとは同程度に確証されることとなり、2009年以降のエメラルドについては、帰納的推測によって緑ともグルー(=2009年以降なので青)とも同程度に確証されてしまう。
しかし、グルーとはいかにも不自然な単語ではないか、との反論に、グルーのパラドックスの提唱者グッドマンは以下のように反論する。時刻tまではブルーであり、時刻t以降はグリーンであることを意味する単語をブリーンとする。すると、グリーンは「時刻tまではグルーであり、時刻t以降はブリーンである」と定義しなおせる。このように、グリーンもまた同様に不自然な単語足りえるのである。グルーとグリーンの差は、我々がどのような言語をこれまで用いてきたかの差に過ぎない。
これをより一般化して、グッドマンは以下のように述べる。
任意の言明S1から始めよう。S1はS1と任意の言明(それをS2と呼ぼう)の連言の帰結であり、したがって、われわれの判断基準によれば、その連言を確証する。ところが、確証された連言S1・S2は、もちろんS2を帰結として持つ。そこで、すべての言明は任意の言明を確証するということになる。(N.グッドマン『事実・虚構・予言』p114)
さて、グルーのパラドックスへの一般的応答としては、「グルーというのが不自然であるのは、われわれが一般的に色は時間によって変化しない、ということを知っているからである」というものであろう。
だが、私はこの応答は不完全であると考える。
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