時事評論

憲法九条、立憲主義、そして憲法学

安倍政権の安保法案を巡る議論で「憲法がないがしろにされている」「立憲主義の危機」等の意見がよくみられる。憲法学者の圧倒的大多数も集団的自衛権を違憲と表明しており、安保法案は立憲主義に背くものだと批判されている。確かに、憲法学者の九条解釈に真っ向から対立しており、法案の中身の是非と無関係に憲法の軽視は許しがたい、という考えは一見非常にもっともらしい。
しかし、この素朴な見方が妥当となるためには、立憲主義と憲法九条の関係の妥当性、そして憲法学の九条をめぐる姿勢とその妥当性があることが前提になる。果たして、これらは単純に妥当だと言えるのであろうか。ここではその点をすこし考えてみたい。

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なぜ研究者は小保方さんに厳しいのか

STAP論文の件について、twitter等ではさまざまな意見が流れています。しかし、それらを見ていると、どうも研究者と一般人の間とでずいぶんと考え方の相違が現れることが多いようです。このような違いが生まれてしまう理由には、研究者はほとんどの人が知っている(がゆえにわざわざ語られないことが多い)が、一般人は意外と知らない「常識」がいろいろとあり、そのために考え方が大きくずれてしまっているという面があるように思います。そこで、ここでは一般人が素朴に抱きそうな疑問に答える形で、そうした「常識」を整理しておきたいと思います。

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差別論の構造~人工知能学会誌の表紙問題

 人工知能学会誌の表紙が女性差別だとして批判を浴び、一方でそのような批判は過剰反応だという再批判も起きている。

 人工知能学会の表紙は女性蔑視?

 コメント欄やその後のtwitter等での展開を見ても、ともに感情的に相手を罵るだけの発現が多く、あまり建設的とはいえない状況であった。しかし、ついにやっと堅実な形での表紙への批判記事が現れた。

 人工知能学会関係者の皆様へ 

 これはきちんと議論するに値する問題提起だと思われるので、これに対して若干のコメントをしておこう。

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麻生ナチス発言はどう解釈すべきか

麻生太郎がナチスを肯定する発言を行ったとして問題になっている。これについては発言全文を見た上で、「ナチスは否定的に言及されているだけ」という議論と、「やっぱりナチス擁護だ」という議論とがともにあり、解釈の部分で見解が割れているようである。そこで、麻生発言の解釈として最も妥当なものを以下では考えたい。

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朝鮮学校無償化の問題と「教育を受ける権利」の保障

朝鮮学校が高校無償化から外されるという問題が一部で話題のようであり、実際「拉致」だの「反日感情」だのを持ちだしてくるのは全く支持しないし、大臣が一方的に無償化対象に含めるか否かを決められてしまうような制度設計そのものに問題があると思う。しかし、これを「民族・国籍差別」というのはいかがなものだろうか。
そもそも、今回の問題で対象となっているのはあくまでも「学校」であって「人」ではない。国籍が韓国や朝鮮であったとしても、通常の公立高校に行くのならば無償化対象となるし、逆に日本人であっても朝鮮学校に行くとしたら無償化対象には含まれない。なので、ここで問題になっているのは「朝鮮学校という機関が、国が認定し管理している教育機関として認められるか否か」という一点であり、それ以外の部分はあまり関係ない。

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話題の自民党憲法案とその批判について、妥当性を考えてみる

自民党の改憲案がヤバいと随所で話題のようである。改憲案と対照表は自民党のHPにあるので、それを参照しつつ、ネットで見かけたいくつかの批判とその妥当性について考えてみたい。

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ネット選挙解禁の可能性~90年代選挙制度改革の歴史との比較

最近、ネット選挙解禁に向けた運動が盛んである。ONE VOICE CAMPAIGNという運動が盛んであり、集会はニュースでも取り上げられている(「ネット選挙運動解禁への課題は“国民の無関心”?――与野党議員と津田大介さんら議論」)。
もちろんネット選挙に対しては、その効果は思ったよりも大きくないという指摘も存在する(「インターネットが政治的関心を高めない理由」)。しかし、ここではネット選挙の賛否は一旦脇に置いて、ネット選挙が実際の政治において、実現しうるか、あるいは実現するとしたらどういう状況で実現するか、ということを考察したい。この考察はかなりドライなものではあるが、しかし実際にネット選挙を解禁させようとする運動が、その戦略を考える上で意味のあるものでもあるだろう。

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「想定外」とリスクの考え方

今回の福島第一原発の問題について、津波被害が「想定外」だの、それは十分予想されていただのといった話が起きている。例えば、共産党が2007年の段階で、チリ地震級の津波が起きた場合には冷却機能が失われると指摘していたこと(「福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ」) が明らかにされている。だが、こうした議論においては、そもそも「想定されている」「想定外」というのがどのような意味なのかがかなり錯綜している気がするので、ここで整理しておこう。

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チュニジア、エジプト、あるいは民主化の波は来るのか

チュニジアで大統領が追い出され、エジプトでもムバラク大統領への批判が高まっていることもあり、「アラブ・アフリカ圏の抑圧的体制下に民主化の波か」という見方や機運も高まってきているようである。だが、そういう単純な見方ではいくつも見落とされている点があるように思う。

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東京都青少年健全育成条例改正をめぐって

東京都青少年健全育成条例改正について、「表現の自由の侵害だ」「基準が曖昧すぎて権力が暴走する」等々の批判が巻き起こっているようだが、論点が非常に曖昧になっている気がする。
まず、この条例改正の起きた発端は「非実在青少年」の問題である。これは、漫画において明らかに少女(18歳未満の登場人物)の性的な描写(特にレイプ等の問題の多いもの)が書かれており、かつそれを18歳未満が容易に読めるような環境にあることは問題ではないか、という提起である。こうした背景を踏まえると、ありうる条例改正反対論の論拠としては

1:そもそもそうした「非実在青少年」の描写自体問題ではない(規制されるべきでない)ので、規制はすべきでない
2:そうした「非実在青少年」の描写は問題ではあるが、今回の条例はそうしたもの以外の不健全ではないものまで規制してしまうので、条例に反対である

の二者があると思われる。
一方、ネット等で検索すると

A:表現の自由の絶対性を訴えるもの
B:拡大適用により、明らかに問題でないものが規制される危険性を訴えるもの

の二通りがあるように思われる。Aは1、Bは2の論拠を用いているもの(もちろん両方を主張するものも多々見られる)だが、論拠のうち1はさらに細分化できて

1-1:表現の自由が絶対的なものである
1-2:表現の自由は場合によっては規制されるが、今回はその場合に該当しない

と二つに分けられる。このうち、Aは1-1に依拠した議論である。1-2に依拠した議論は、表現の自由の線引き問題をきちんと論じ、どこまでが規制されるべきものかを考察したものだが、このようなタイプの議論は今回の問題に関してはあまり見受けられなかった。

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