アゴラを読んでいて少し気になったので。
安富歩氏が、経済学の「均衡」と熱力学の「平衡」を同一視する誤りが起きていると主張している。
まず熱力学の平衡について
物理学の平衡は大雑把に言うと、「マクロに運動が見られない」という意味だと言ってよかろう。(中略)
大切なことは、物理学の平衡は物質やエネルギーの出入りのない閉鎖系に関するもので、開放系には想定できない、という点である。たとえば生命は開放系であるから、一般に平衡状態を想定した議論は成り立たない。
非平衡開放系で何らかの量が止まっているように見える場合には「定常」状態という。(「均衡概念の危険性について」)
と書いている。これはその通りである。そしてそれに続けて
言うまでもないが、経済社会は生命と同じく非平衡開放系なので、そこで「価格」が止まっているとしたら、それは「平衡」ではなく「定常」である。
新古典派経済学の根本的な問題は、この定常状態に関して、閉鎖系の平衡統計力学風の議論を持ち込んでしまったことである。これはちょうど、人間の体温が一定であるのを見て「平衡」だと思い込み、平衡統計力学の手法を用いて身体の理論を作るのと同じ倒錯した行為である。
と書く。
だが私は「そもそも経済学は、熱力学の平衡の意味で「均衡」という語を用いているのか」という点には疑問である。
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