D-Waveの開発したコンピュータは「量子コンピュータ」なのか?
| 固定リンク
| コメント (12)
| トラックバック (0)
| 固定リンク
| コメント (12)
| トラックバック (0)
前の記事で不確定性関係の意味及び小澤の不等式の意味の簡単な説明を見た。ここでは、さらにすすんで小澤の不等式の量子推定理論における意味を見ていこう。
③アーサー・グッドマン不等式
前の記事で見たように、不確定性関係(ケナード・ロバートソン不等式)は、位置と速度の分散に関する関係式であった。しかし①の測定精度と測定によるずれの関係もまた物理的には重要なので、ハイゼンベルグのような直観的な方法ではなく、何らかの厳密な記述をしたいと考えるのは自然である。そこで導かれたのが「アーサー・グッドマン不等式」というものである。
この不等式は、「測定精度」と「測定による速度のずれ」という関係の問題の代わりに「位置と速度を一緒に測るときにどうなるか」の問題を扱っている。このように言い変えてしまっても構わないのは、以下のような理由による。
「位置の測定による速度のずれ」を知るには、「位置の測定」の後に「精度の完璧な速度の測定」を行う必要がある。この二つを立て続けに行うことで、「精度」と「ずれ」の二つをともに求めることができる。しかし、結局この2回の測定で「位置」と「速度」の測定がそれぞれ行われており、位置と速度に関する何らかのデータがこの一連の測定で得られるのだから、これは「位置と速度の両方を測るような測定」の一種であることが分かる。なので「位置(の精度)を測った後に速度(のずれ)を測る測定」という、これまで問題にしてきた測定は「位置と速度の両方を測るような測定」のある特殊なケースであり、後者についての一般的な理論が得られれば、自動的にこれまで考えてきた「精度とずれ」の問題も解決される。
さて、前の記事の②で見たように、測定精度が完璧な測定をしてもなお、位置や速度はばらついてしまうというのが量子力学の本質的な性格であった。そして、「位置と速度の両方を測るような測定」によって得られる測定結果は、元のばらつきよりもさらに大きくばらつく。この「両方測るような測定」において、「位置の測定結果のばらつき」と「速度の測定結果のばらつき」とを掛け合わせたものが、ある一定の値よりも小さくできない、というのが「アーサー・グッドマン不等式」の主張である。
ただし、この不等式では実は測定の種類にある条件を課している。それは「精度が完璧な測定の場合の位置/速度の平均値」と「両方測る測定の位置/速度の平均値」とが一致するというものである(これを「不偏測定」という)。要するに、「両方測る測定」では、本来よりも値がばらついてしまう(精度が悪くなる)のはいいけれど、そもそも全体がごっそり横にずれてしまうような、そういうひどいタイプの測定ではいけない、ということである。
この条件があるので、アーサー・グッドマン不等式の議論では測定の誤差を「実際の測定結果のばらつきの度合いー精度が完璧な測定の際のばらつきの度合い」で定義できる。要するに、位置と速度を両方とも測ろうとしたために、大きくなってしまったばらつきの度合いが「誤差」として定義されているのである。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
量子力学を知らない人でも「ハイゼンベルグの不確定性原理」という言葉は聞いたことがある人が多いだろう。「小さいものは位置と速度を正確に測れない」「これこそが量子力学の本質」のような理解をしている人も多いに違いない。
そして先日、この「不確定性原理が成り立たないことが示された」という見出しのニュースが流れてきた。
読売新聞「不確定性原理に欠陥…量子物理学の原理崩す成果」
毎日新聞「量子力学:不確定性原理に欠陥 名古屋大教授ら実証」
日経新聞「「不確定性原理」矛盾実証次世代技術を後押し」
東京新聞「量子力学 不確定性原理に誤り 名大など実証」
朝日新聞「物理の根幹、新たな数式 名大教授の予測を実証」
しかし、ただでさえ誤解の多い量子力学の、極めてデリケートな部分についての研究なので、内容的に誤っている記事も多々見られる。そこで、正しくきちんと理解するために、「不確定性原理」の意味、今回の実験や小澤の不等式で何が示されているのか、をきちんと見ていこう。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
ブログ等と比較したとき、Twitterのよくない点は、誤った情報がながされているときにそれに対して訂正・反論の情報を確実に流す手段が存在しないこと。誤った情報を流した人をフォローしている人が、自分もまたフォローしている保証はどこにもないのだから、自分が反論をツイートしても見てもらえる保証はない。
というわけで、Twitterでやたら流れてきた科学系の話題2つ。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
さて今回はこれまた誤解の多い不完全性定理について取り上げる。
完全性定理については、本書ではわりと正しく書かれている。
簡単に言えば、論理の世界では、「真理」と「証明」が同等だということです。論理的に真理であるということは、公理系で証明できるということと同じであり、その逆もまた成立するということです。(p219)
ところが、そのあとの説明でいきなりおかしな方向へ行く。
ところが、数学の世界では、「真理」と「証明」が同等ではないわけです。つまり、数学の世界には、公理系では「汲みつくせない」真理の存在することが明らかになったわけです。このことを証明しているのが、「自然数論の不完全性定理」なのです。(p219)
一方の不完全性定理については以下のように説明される。
論理学者 それでは、ここで不完全性定理の結論を述べましょう。一般に、システムSが正常であるとき、真であるにもかかわらず、Sでは証明可能でない命題が存在します。(p224)
まず確認しておかなければならないことは、完全性定理の「完全」と、不完全性定理の「完全」とでは意味が全く違うということである。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
高橋昌一郎『理性の限界』という本をパラパラと見てみたのだが、生半可な理解で犯しがちなミスをことごとく犯しているので、何回かに分けてきちんと解説しておく。
まず相対論に関して少し取り上げよう。
司会者 時間と空間が相対的というのは、どのようなことなのでしょうか?
科学主義者 文字どおり、時間や空間も観測者の運動に応じて異なるという意味です。(p134)
この説明はなんかポイントを捉え損ねている。相対性原理はアインシュタイン自身の原論文では以下のように定義されている
互いに他に対して一様な並進運動をしている、任意の二つの座標系のうちで、いずれを基準にとって、物理系の状態の変化に関する法則を書き表そうとも、そこに導かれる法則は、座標系の選び方に無関係である(A.アインシュタイン『相対性理論』p20)
つまり、相対性原理というのは「どの座標系からみても同じ物理法則でいい」ということである。例えば、私が静止していてAさんが一定の速度で遠ざかっているとき、「私が止まっていてAさんが遠ざかる」とみようが、逆にAさんの立場に立って「Aさんは止まっていて私が遠ざかる」とみようが全く同じ物理法則が成り立つということである。
なんか当たり前の法則のような気がするが、(この本では触れられていないが)静止エーテル問題というのがあって、もし静止エーテルが存在するならば、静止エーテルを基準として動いているか止まっているかが規定されるので、上記のような相対性原理は成り立たなくなる(プールの中では仮に私が止まってAさんが動いているならば、私を基準のとるかAさんを基準にとるかで、同じ物理法則が成り立つとは言えない(Aさんを基準にとったら水が押し寄せてくるように感じるだろう)ことをイメージしていただきたい)。ちなみに、空間が観察者に応じて異なるのはニュートン力学でも同じである。
さて、本題の量子論である。誤解の多い不確定性関係について、本書では以下のように導入される。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
金子昇『数理系のための基礎と応用 微分積分Ⅱ』におけるクラインの壺についての説明の註に次のように書かれている。
継ぎ目に丸みを付けないで書く流儀もある。浅田彰『構造と力』という哲学書の表紙にはそのような図がちりばめられており、70年代の女子学生はこの本をファッション代わりに持ち歩いていた。(p188)
とりあえず『構造と力』って1983年に発売された本だよね、っていう点もあるんだが、それより問題なのは、浅田の用いたクラインの壺が数学的に誤っているとして批判されネット上で論争になっていたという点だ。
| 固定リンク
最近のコメント